第十五話 初めての友達
⋯⋯友達⋯⋯⋯⋯トモダチ⋯⋯?
橘さんの言葉が脳内で繰り返される。
⋯⋯恥ずかしいことに、馴染みの無い言葉だった。
「お願いします⋯⋯!」
橘さんは緊張した面持ちで、しかしはっきりと告げる。
「いっ、いや俺は──」
「──嫌、ですか?」
「⋯⋯っ」
反射的に否定しようと出た言葉に被せる形で、彼女が問いかける。
⋯⋯以前と比べて押し切るような、どこか焦りを感じさせる様子だった。
「同じクラスだし、これからは同僚でもあります。仲良くなるのは別に不思議な事じゃない⋯⋯ですよね⋯⋯?」
「それ、は⋯⋯」
彼女はこちらに一歩距離を詰め、控えめに手を握ってくる。
「⋯⋯っ!?橘さん⋯⋯!?」
「⋯⋯お願いします」
包み込まれた両手から伝わる彼女の体温に、思考を掻き乱される。
「⋯⋯高槻君──」
「──っ!?あ、あのっ!俺マジで今まで友達とかできたことなくて⋯⋯っ!ほんっとに一人も⋯⋯!!」
⋯⋯混乱して、自ら恥を晒すような事を口走る。
「それで、そのっ⋯⋯えっとだから──」
「──大丈夫です」
「──う、ぁ⋯⋯っ!?」
さらに一歩距離を詰められ、動揺からその場にへたり込んでしまう。
しかし依然として手はぎゅっと握りしめられ、込められる力は先程よりも強くなっていた。
橘さんは、投げ出された両足の間にするりと入り込むと、上から覗き込む形で顔を近づけ、見透かすように目を合わせながら──
「──私が全部、教えてあげるから」
──柔らかな笑みで、そう告げた。
彼女の笑顔は既に何度も見てきたが、その表情は今までのものとは違う、蠱惑的とも言える微笑みだった。
「──ぁ」
⋯⋯⋯⋯少し、先輩に似ている。
激しく高鳴る心臓と、今にも沸騰しそうな思考を必死に落ち着けながらも、もう彼女の言葉を否定することは不可能だと、どこかぼんやりと悟った。
──夜、ナギサの自室──
「──にしてもあの血みどろ野郎、マジでヤバい奴だったんだな」
「うん⋯⋯」
「碧雫には去年の五月に初めて会ったきり、一年後に事務所に来いって約束を律儀にずっと覚えてたんだろ?ハッ、忠犬かっての」
「⋯⋯うん⋯⋯」
「一回しか会ったことのない女によくあそこまで惚れ込めるよな。それとも、現代の若者はあんな感じなのか?」
「⋯⋯⋯⋯うん⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯嬢ちゃん」
「⋯⋯え⋯⋯?あっ⋯⋯ご、ごめんヴィクトリア⋯⋯!考え事してて⋯⋯」
橘ナギサの自室、彼女は上の空でスマホを眺めていた。
普段のナギサはどんな時でもヴィクトリア⋯⋯いや他者の言葉を聞き流したりはしない。
しかし今日は家に帰ってきてからずっとこの調子であり、ヴィクトリアは不安を隠せずにいた。
「⋯⋯嬢ちゃん、大丈夫か?」
「⋯⋯うん、大丈夫。今日は色々あったから疲れちゃって。いつもより早いけど、もう寝ちゃおうかな⋯⋯ヴィクトリアもそれでいい?」
「それは、構わねーけど⋯⋯」
確かに、今日は激動と言ってもいい程に多くのことがあった。
最も大きな出来事が『敗北』であるということも加えて、ナギサの心労は計り知れない。
しかし、ヴィクトリアはとある疑問を抱いていた。
「⋯⋯⋯⋯」
大切な契約者の為を思うならば、ひとまず今は疑問を飲み込み、体調の回復を促すべきかもしれない。
しかし、元来自分勝手な性格であるヴィクトリアは自らの好奇心を抑えることができなかった。
彼は薄っぺらい葛藤を経た後、自らの興味に従うことに決め、口を開いた。
「──そういえば嬢ちゃん。今日はいつもと比べて強引だったんじゃねぇか?」
「⋯⋯え?」
驚いた様子のナギサに構わずヴィクトリアは続ける。
「普段から嬢ちゃんはあんまり強い主張をしないだろ。特に他者といる時は、集団の調和を優先する傾向がある」
「⋯⋯?そうかな⋯⋯?」
「そうさ。だから、今日の血だらけ野郎に対する態度はちょっと引っかかった」
ヴィクトリアは推理を披露する探偵のように、自慢げに腕を組みながら部屋の中を歩き回る。
⋯⋯正確には浮いているため、ふわふわと漂うのみなのだが。
「いつもより随分と執着してる様子だったぜ。特に最後は必死だったな」
「⋯⋯っ」
ナギサが一瞬バツの悪い表情を見せたことを、ヴィクトリアは見逃さなかった。
ナギサと契約してまだ日は浅いが、調べた限り彼女は完全に普通の人間だった。
多少裕福な家庭で育ってはいるが、それでも一般人の域を出ない。
⋯⋯しかし、彼女の精神性はどうだろうか。
彼女が学校の人気者である理由は?
見ず知らずの魔神と契約を結んだ理由は?
未だに泣き言ひとつ言わずに自分に協力している理由は?
──未だ魔神に何も願わない理由は?
ヴィクトリアは橘ナギサという人間の考え方、つまりは心に多少の興味を持ち始めていた。
「──なぁ、なんでだ?なんでアイツのことをそんなに気にかける?」
「⋯⋯それは⋯⋯」
「──本当にクラスメイトで同僚ってだけか?」
「⋯⋯⋯⋯」
部屋に流れる沈黙は決して重苦しいものでは無かったが、ナギサは明らかに話しにくそうにしていた。
「⋯⋯⋯⋯実は私、一年生の時も高槻君⋯⋯アカネ君と同じクラスだったんだ」
「⋯⋯は?そうだったのか?」
「うん、まぁアカネ君は覚えてないだろうけど」
ナギサは少し寂しそうにしながら続ける。
「でも、入学したての頃のアカネ君は⋯⋯えっと、一言で言うと不良だったの⋯⋯」
「はぁ?アイツが?」
「遅刻も欠席も多かったし、授業中も居眠りしてばっかりだった。それに⋯⋯」
「⋯⋯?それに?」
「⋯⋯⋯⋯入学から一週間くらい経った頃、アカネ君がスラム街に出入りしてるって噂が流れ出したの」
「スラム街⋯⋯」
チーム決めの日、海蜘蛛を倒すために訪れた寂れた市街地。
治安が良いとは言えず、不良やそれ以上にヤバい奴だっているであろう場所だった。
⋯⋯そういえば、あの時もアイツは嬢ちゃんと比べて落ち着いていたかもしれない。
「それでアカネ君、完全にクラスで浮いちゃって⋯⋯」
「⋯⋯あぁ、だから⋯⋯」
友達がいない、と言っていた様子が思い起こされる。
「──うん、だからかな。特にアカネ君の力になりたいって思っちゃうのは⋯⋯」
「へぇ⋯⋯は?」
「え?」
⋯⋯思っていたよりも急に話が終わってしまった。
「⋯⋯⋯⋯それだけか?」
「う、うん⋯⋯」
真っ当な理由ではあるのだが、少々肩透かし感が否めない。
⋯⋯そもそもそれじゃあ⋯⋯
「嬢ちゃん、お人好しがすぎるぞ⋯⋯」
今までと大して印象が変わらない⋯⋯!
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯まぁ、人間性を知る上での補強くらいにはなったと思え──
「──でも、アカネ君には迷惑だったんだと思う」
「⋯⋯え?」
か細い声で、ナギサがぽつりと告げた。
「⋯⋯アカネ君が不真面目だったのって、最初の一ヶ月だけだったから」
「⋯⋯?」
「五月に入ってすぐ、アカネ君は遅刻も欠席もしなくなったの。もちろん、授業中の居眠りもね」
「それって、もしかして⋯⋯」
「⋯⋯多分、碧雫さんに会ってから⋯⋯なんだと思う」
「⋯⋯はぁ、結構本気で惚れてたんだな⋯⋯」
「⋯⋯」
──────────────────
「──気を使わせちゃったんですよね、でも僕は大丈夫ですから。心配してくれてありがとうございます⋯⋯えっと⋯⋯じゃあ、用事があるんで失礼します⋯⋯」
──────────────────
「⋯⋯⋯⋯あ゛ぁ⋯⋯私、傲慢な人間なんだぁ⋯⋯」
「うわ嬢ちゃんが急にネガティブになった」
──アカネの自室──
「⋯⋯友達⋯⋯」
スマホでメッセージアプリを開き、連絡先リストに唯一存在するアイコンをタップしてみる。
何種類かのケーキが一切れずつ並んでいるオシャレな写真。
それこそ、今日連絡先を交換した橘ナギサのアカウントを示すアイコンだった。
家に帰ってから既にいくらかのやり取りを行い、その結果として『お互い敬語をやめよう』『呼び方をもっと親しくしよう』などすごい勢いで距離が縮まっている。
橘ナギサのコミュ力はチャット上でも健在らしく、こちらの淡白な返信に対しても多彩な反応とスタンプで切り返してくる様は鮮やかだった。
「⋯⋯ここは、もっと面白いこと言えたな⋯⋯」
先程から意味もなくチャット履歴を見返しまくっているが、一向に飽きない。
人生で初めての友人ができ、しかも連絡先まで交換できた。
⋯⋯こんな幸福感を得ることができたのだから、ジェイソンに切り刻まれたのも無駄ではなかったのかもしれない。
割と本気でそう思った。
──ガタガタガタガタ
「──っ!?うわやばっ⋯⋯!?なんか全身震えてきた!?恐怖か!?一日でトラウマになったのかっ!?」
⋯⋯⋯⋯やっぱりジェイソンのことは、しばらく思い出さないようにしよう。