第5章:絵が繋ぐもの
美術館の片隅に、小さな特設展が開かれていた。
タイトルは《匿名作家による“祈り”の絵》。
主催者すら作者の素性を明かさず、ただ一言だけ添えていた。
「この絵は、人の心を描いている。
それだけで、十分でしょう?」
柚は、絵の前で立ち尽くしていた。
涙が、頬をつたって落ちた。
それは、少女の頃と同じだった。
――あのときも、そうだった。
両親の離婚、学校での孤立、自分には何の価値もないと思っていたあの頃。
机の引き出しの中、誰かが置いてくれた一枚のポストカード。
空を見上げる少女の絵。
どこか寂しそうで、それでも光を諦めていない――そんな瞳だった。
その絵を見て、彼女は泣いた。そして、生きようと思った。
「ありがとう……って、ずっと言いたかったんだよ。
あなたの絵が、私をこの世界につなぎとめてくれた」
彼女は、大人になった今、その絵の空気をもう一度感じていた。
タイトルも、署名もない。だけど――“わかる”。
この絵は、あの時の作家と同じ人が描いたものだと。
「このタッチ……目の奥にある感情の揺れ……絶対に、あの人だ」
柚はその日から、“Hoshino”という名前を手がかりに、作者を探し始めた。
炎上の痕跡、AI騒動、そして失われた連載。
ネットの海の中に埋もれた情報を拾い集め、ひとつずつ繋いでいく。
ようやくたどり着いたのは、都心から離れた郊外にある、静かなアトリエだった。
扉の前に立った柚の手は、震えていた。
けれど、心は不思議と穏やかだった。
まるで、何年も前からこの瞬間を待っていたように――。
ノックの音が、静かな空気を揺らした。




