98.日常に溶けるぬくもり
98.日常に溶けるぬくもり
月曜日の朝。
登校途中の電車の窓に映る自分の顔を見ながら、陽翔は少しだけ顔をほころばせた。
(……夢じゃなかったよな)
ふたりで歩いた帰り道。
手を繋いで、何も言わなくても通じ合っていたあの時間。
駅のホームで別れ際、由愛が小さく手を振ってくれたあの仕草が、今でも頭から離れなかった。
ふたりが恋人になってから、まだ数日。
だけど、世界の見え方は少しずつ変わり始めていた。
電車を降りて、改札を出る。
ふと周囲を見渡して、無意識に由愛の姿を探している自分に気づいた。
(会えるかな……)
そして、少し先の角を曲がったところで、見慣れたシルエットが見えた。
「……由愛!」
振り返った彼女の笑顔は、週末のそれと同じくらい、優しくてあたたかかった。
「おはよう、陽翔くん」
“陽翔くん”。
最近、呼び方が自然になってきた気がする。
その響きだけで、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
ふたり並んで歩き出す。
「……今日、ちょっとだけ早く来てみたんだ」
「え、そうなの?」
「なんとなく……会えるかなって思って」
そんな一言に、陽翔は思わず顔を赤くした。
「そ、それ俺も……」
照れくささに目をそらすと、由愛がくすっと笑った。
「じゃあ、おそろいだね」
ふたりだけの“朝の時間”。
まだ誰もいない通学路で、ただ並んで歩くだけなのに、胸が高鳴る。
教室に入ると、クラスメイトたちはいつものようにざわめいていた。
文化祭の話題はまだ続いていて、あの告白イベントのことも、ちらほらと耳に入ってくる。
「ねぇねぇ、あの後どうなったの〜?」
「やっぱカップル成立したんじゃない?」
そんな声に、由愛は少しだけ陽翔を見て——
なにも言わずに、ふっと微笑んだ。
(……うん、それでいい)
周囲に騒がれるのはちょっと恥ずかしい。
でも、ふたりだけが知っている“本当”がある。それで十分だった。
休み時間、窓際の席に座る由愛の隣に、陽翔が自然と腰を下ろす。
「今週、図書室で新刊出るってさ」
「あ、それ気になってた。放課後、寄ってく?」
「うん。……一緒に、行こう?」
以前なら、“友達としての会話”だったかもしれない。
でも今は、ひとつひとつの言葉に意味があって、ぬくもりがある。
放課後。
下校途中の交差点で信号待ちをしている時、由愛がそっと陽翔の袖を引っ張った。
「……ねえ、ちょっとだけ」
「ん?」
「手、つないでもいい?」
誰もいない歩道で、そっと繋いだ手。
少しだけひんやりした風の中で、指先の温度だけが確かだった。
(こんな風に、少しずつ……)
日常の中に、恋が溶け込んでいく。
特別なことがなくても、隣にいるだけで幸せ。
そう思える関係が、ゆっくりと育っていく——そんな季節の始まりだった。




