97.初めてのふたり時間
97.初めてのふたり時間
土曜日の朝、陽翔は駅前のベンチに座りながら、スマホの時計をちらちらと見ていた。
(あと……五分)
普段はなんてことのない時間が、やたらと長く感じる。
制服ではない私服の自分も、いつもと違う私服の由愛も、どこかぎこちない。
“恋人として初めてのデート”。それが今日のすべてだった。
人の波に目をやった瞬間——
「陽翔くん」
その声が耳に届いた。
振り返ると、陽翔は言葉を失った。
白のニットカーディガンに、ベージュのロングスカート。足元はシンプルなパンプス。
ゆるく巻かれた髪が肩の上で揺れ、光を反射してやわらかく輝いていた。
普段の制服姿とは違う、少し大人っぽい雰囲気に見とれてしまう。
「……ごめん、待った?」
「あ、いや、全然。今来たとこ」
定番のセリフを、陽翔は自然に口にした。
けれど内心はもう、鼓動が跳ね上がって落ち着かない。
由愛がそっと陽翔の横に並び、ほんの少し袖をつまむ。
「なんか……緊張してる?」
「う、うん。ちょっとだけ」
「私も。……でもね、今日楽しみにしてたんだ」
その一言で、陽翔の表情が緩んだ。
「俺も。……めちゃくちゃ」
二人が向かったのは、駅前のショッピングモール。
最初の目的地は映画館だった。
公開されたばかりの恋愛映画。
普段ならあまり選ばないジャンルだが、由愛が「観てみたかったの」と言ったので、自然と決まった。
映画が始まる直前、席に並んで座った二人の距離は、どこか遠く感じた。
けれど——ふと指が触れた瞬間、由愛が小さく息を呑んだのが分かった。
(……このドキドキ、俺だけじゃないんだ)
そんな確信に、陽翔は胸が熱くなった。
映画が終わる頃には、ふたりの肩はそっと触れ合っていた。
「……いい映画だったね」
「うん……ちょっと泣きそうになった」
「わかる。最後のあのシーン……」
共感し合える会話が、思っていたより自然に続いた。
次に立ち寄ったのは、カフェ。
由愛が「可愛い」と言ったパンケーキをひとつ頼み、二人でシェアすることに。
「ほら、あーんして」
「えっ!? マジで……?」
「冗談だよ。ふふ」
けれど、由愛はスプーンで小さくすくって、自分で口に運び——
「……美味しい。陽翔くんも食べてみて」
そう言ってスプーンを差し出す。
「……え、マジで?」
「うん。あーん」
人目を気にして周囲を見渡すが、すでに由愛の目は真っ直ぐにこちらを見ていた。
(……負けた)
陽翔は、そっと口を開けた。
「……うまっ」
由愛が嬉しそうに微笑んで、スプーンを引く。
どちらからともなく、自然に笑い合っていた。
その後も、雑貨屋でおそろいのブックマーカーを買ったり、ゲーセンでぬいぐるみを取り損ねてはしゃいだり——
何気ないひとつひとつが、すべて特別な時間に感じられた。
そして、夕暮れ。
二人は並んで歩いていた。空はオレンジに染まり、歩道の影が長く伸びる。
「……今日はありがとう。すごく楽しかった」
「俺も……めっちゃ楽しかった」
ふと立ち止まった由愛が、こちらを見上げて微笑む。
「ね、陽翔くん」
「ん?」
「今日のこと……ずっと、覚えててね」
その言葉が、まるで映画のラストシーンみたいで。
陽翔は小さく頷いた。
「もちろん。絶対、忘れないよ」
指先が重なり、少しずつ、指が絡まる。
今日初めてつないだ手は、あたたかくて、どこまでも優しかった。
帰り道、何も言わずとも伝わる気持ちがそこにあった。




