60.埋まらない距離
60.埋まらない距離
次の日。
朝の教室は、いつもと変わらない空気が流れていた。
陽翔は自分の席に着きながら、ちらりと由愛の姿を探す。
(……まだ来てないのか)
昨日のメッセージのことが、ずっと頭の中に引っかかっていた。
「ごめんね」という言葉の意味。
もしかして、俺が聞いたことに対する謝罪だったのか?
(……いや、考えすぎだろ)
けれど、どうしても気になってしまう。
しばらくして、教室のドアが開いた。
「——おはよう」
由愛だった。
陽翔の胸が、一瞬だけ高鳴る。
いつもと変わらないクールな表情——のはずなのに、どこかぎこちない気がする。
(……気のせいか?)
いや、違う。
昨日までは、俺が教室に入ると目が合ったら微笑んでくれていた。
けれど今日は、一度もこっちを見ないまま、席に向かってしまった。
(避けられてる……?)
そんなはずはない。
だが、胸の奥が妙にざわついた。
——話しかけるべきか。
けれど、声をかけるタイミングが掴めないまま、時間だけが過ぎていく。
***
昼休みになった。
今なら、自然に話せるかもしれない。
陽翔は席を立ち、由愛の方へ歩こうとした——その時。
「橘、今日一緒に食べない?」
クラスメイトの女子が、由愛を誘うのが聞こえた。
「あ、うん。行こっか」
——断らなかった。
少し前までなら、俺と一緒に食べてたのに。
陽翔は、かすかな違和感を抱えたまま、足を止めた。
(……話せるチャンスだったのに)
けれど、今はなぜか由愛の背中を追いかけることができなかった。
胸の奥に、小さなモヤが広がっていく。
——気のせいだと思いたかった。
でも、それは「気のせい」ではなくなっていく。
そう気づくのは、もう少し先のことだった。




