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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・ 第79話 学園通り・夏祭り

 

 8月の中旬、夕暮れが近づく頃、学園通りはゆっくりと賑わいを増していた。色とりどりの提灯が通りをまたぎ、ちりちりと揺れる灯りが街の空気をやわらかく染めていく。浴衣姿の学生たちや地元の親子連れが行き交い、笑い声や呼び込みの声が夏の空気に混じって響いていた。


 文芸サークル〈ことのは文庫〉は、“ことばの縁日”と名付けたブースを通りの一角に出店していた。手作りの短編集や詩を印刷した栞、小瓶に詰められた「詩の種」などが机の上に並び、奥には色とりどりの紙に包まれた「一言詩くじ」の籠が置かれている。


「引いてみませんか? 今のあなたにぴったりな“ひとこと”が出てきますよ」


 悠里が柔らかい笑みで声をかけると、小学生くらいの女の子が興味津々で近づいてきた。揺れる金魚柄の浴衣が、夕陽の色を映してきらりと光る。


「えいっ!」


 くじを引く女の子。包みを開くと、中には手書きの文字でこう書かれていた。


 《泣いてもいいよ。その涙は、ちゃんと誰かに届いてるから》


「……なんか、ほんとに言われたみたい」


 少女がぽつりと呟くと、横にいた母親が微笑んでその頭を撫でた。


「これ、お姉ちゃんが書いたの?」少女が顔を上げて聞く。


「ううん、それは……由愛先輩が書いたの」


「へぇ……なんかあったかい」


 少女は大事そうに紙を折りたたむと、帯の間にそっとしまった。


 ブースの後ろでは、陽翔がテーブルの隅で“ことばのポスト”の手入れをしていた。それは訪れた人が自由に言葉を投函できる箱で、祭りのあいだずっと、誰かの思いが静かに集まり続けていた。


 一方、商店街の中央広場では、クローバーの陽真と由愛が、子どもたちに大人気の「輪投げ」と「金魚すくい」コーナーを担当していた。


「はいっ、惜しい! もうちょっとだけ前に投げてみよう!」


 陽真は額に汗を浮かべながらも、子ども一人ひとりに目線を合わせて声をかけていた。背中には大きな“クローバー”の文字が入ったスタッフTシャツ。輪投げの輪がぴたりとはまると、子どもよりも大きな声で「やったー!」と叫んで笑う陽真の姿に、周囲の大人たちもつい微笑んでしまう。


 その隣で由愛は、魚すくいの紙がやぶれてしょんぼりする子に、しゃがんで目線を合わせていた。


「うん、惜しかったね。でも、ちゃんとねらってたところ、すごく上手だったよ」


 やさしく語りかける声に、子どもは照れくさそうにうなずいた。由愛が代わりに取ってあげた金魚を袋に入れて手渡すと、その子の顔がぱっと明るくなる。


 そんな様子を、通りすがりの老夫婦が足を止めて眺めていた。


「学生さんたち、いい笑顔してるねぇ」「こういうの、うれしいね」


 夕焼けがだんだんと深まり、空に群青の気配が混じり始める。通りの上に掲げられた提灯がひとつ、またひとつ灯り始め、学園通りはゆっくりと“夜の祭り”へと姿を変えていく。


 そのなかで、言葉を紡ぎ、誰かと関わり、笑顔を交わす時間――

 それはきっと、学生たちにとっても、忘れがたい夏の記憶となっていくのだろう。


 


 八月の後半、夏の光が少しやわらぎはじめた頃。地元の保育所と小学校では、クローバーの学生たちが地域連携のボランティア実習に参加していた。


 朝の園庭には、虫取り網と麦わら帽子でにぎわう子どもたちの声が響いている。由愛は、その中のひとり、クレヨンの色が混ざった指先で画用紙を掲げる女の子の前にしゃがみ込んでいた。


「せんせい、見て! これ、かお! わたしの!」


 画用紙いっぱいに、まるで陽だまりみたいな笑顔が描かれていた。ぐるぐるの髪、ピンクのほっぺ、にっこりと笑う目元。それを見て、由愛も自然と笑顔になる。


「すごいね。ちゃんと、自分のこと、よく見て描いたんだね。……先生まで、元気になっちゃった」


 そう言って頭をなでると、女の子は照れたように笑って、また次の色を取りに走っていった。その背中を見送りながら、由愛はふと、胸の奥がじんわりとあたたかくなるのを感じていた。


 (わたしも、子どもの頃、こんなふうに絵を描いてたな……)


 記憶の片隅から浮かぶ、にじんだ絵の具の匂い。先生にほめられたときの誇らしさ。あのときの自分が、今、誰かに重なっている――そんな感覚が、今の由愛を支えていた。


 そのころ、小学校の図書室では、悠里が本を手に読み聞かせをしていた。


「――くまさんは、おおきな木の下で、そっとおやすみなさい……」


 ゆっくりとした声で、言葉を紡いでいく。最初はどこかぎこちなかった調子も、ページをめくるたびに自然と柔らかくなっていった。真剣なまなざしで本を見つめる子どもたち。その一人がふと手を挙げて、「くまさん、さみしくないの?」と尋ねた。


 悠里は一瞬、目を見開いてから、小さく笑った。


「きっとね、まわりに大事なひとがいるから、大丈夫。……さみしくないよ」


 そう語る声には、どこか自分自身を抱きしめるようなやさしさがにじんでいた。読み終えたあと、子どもたちから小さな拍手が起こる。そのなかに、悠里はそっと息を吐いた。


 (ちゃんと、伝わった……かもしれない)


 その様子を少し離れた本棚の陰から見ていた陽翔は、手元の日誌にそっとペンを走らせた。


 教育とは、子どもの心の景色に触れること。

 何を教えるかではなく、どんな“まなざしで向き合うか。

 その一瞬を、どう残すかが、大人の役目なんだと思った。


 風が通り抜け、カーテンがふわりと揺れる。ページの余白に滲んだ陽翔の文字が、夏の記憶のように、そっと日誌に残された。



 夏は、ただ暑いだけの季節じゃない。

 誰かの言葉が、誰かの笑顔が、未来を少しずつ照らしていく。

 青嶺の夏は、そんな“まなざし”であふれていた。


 そしてそのひとつひとつが、誰かの「なりたい先生」の原点になっていった。


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