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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・ 第78話 8月・夏の青嶺大学とその街


 蝉の声が途切れなく続く、真夏の青嶺大学。じりじりと焼けるような陽射しがキャンパスの石畳を照らし、歩く学生たちの影が細く長く伸びていた。生協の前にある並木道では、木陰に逃げ込むように腰を下ろした学生たちが、冷たい飲み物を片手にノートを広げ、時折うちわを仰いでいる。


 その一角にある文化系サークル棟。文芸サークル〈ことのは文庫〉の部室では、カーテンをわずかに閉めて、熱を遮る工夫がされていた。古びた扇風機が唸るように回り、ページをめくる音や、キーボードの打鍵音がその合間を縫って響く。


「今回の夏号、テーマは“余白”だったよね」


 由愛が編集ノートを手に、窓際の席でそっと額の汗をぬぐいながら言った。すだれ越しに差し込む光が彼女の頬を淡く照らし、その横顔にはどこか落ち着いた雰囲気があった。彼女が書いたのは、夜のベランダで聴こえてくる風鈴の音と、静けさのなかにふと浮かぶ過去の記憶。そこには、誰にも語られない感情の「余白」が、繊細に描かれていた。


「うん。彩音先輩も、“暑さの中の静けさをどう表現するかが鍵”って言ってたよ」


 陽翔はそう言いながら、部員たちから提出された原稿に目を通していた。彼自身が合宿で書き上げた掌編には、満天の星空の下で交わされる言葉なき会話を、「言葉のない対話」として綴っている。短いけれど、その行間に心が宿っているような文章だった。


 テーブルの中央には、製本前の原稿が並び、由愛と陽翔はページの順番を確認しながら、差し込み写真や装飾の相談をしていた。時折、表現に悩んで立ち止まると、どちらともなく意見を交わし、笑い合う。外は灼けるような暑さだが、部室の中には、静かで前向きな熱が満ちていた。


 ふと、陽翔が視線を上げる。部室の扉の外、掲示板に新たなポスターが貼られているのが目に入った。


 《第14回 青嶺短編文学賞 募集開始》


 文芸サークル主催、年に一度の学内短編コンテスト。毎年夏のこの時期に告知され、学生たちの言葉が真っ向からぶつかり合う季節が、またやってくる。


「始まったね、短編賞」


 陽翔が呟くと、由愛もそっと頷いた。


「うん。今年は、あたしも出してみようかなって……思ってる」


 その目は静かに燃えていた。ページの中で世界をつくる――そんな情熱が、確かにそこに宿っていた。


 部室の時計が午後の三時を過ぎる頃、外から蝉の声が一段と強くなった。夏はまだ、真っ盛りだ。そして、その暑さのなかでこそ、書き手たちの想いが静かに、確かに、形をとっていく。



 夏号の編集作業が佳境を迎えるころ、〈ことのは文庫〉の部室は、いつにも増して「創作の気配」に満ちていた。


 陽翔は赤ペンを走らせながら、ふと由愛の原稿に目を留めた。静けさを描いた一文の余韻に、思わず手が止まる。ページの隅に書かれていた「言えなかった言葉ほど、心の中では鮮やかに残るんだね」という一文が、胸にすっと染み込んできた。


「これ……、いいな」


 思わず漏らすと、由愛が小さく首を傾げる。「どこ?」


 陽翔が指差すと、彼女は照れたように笑った。


「迷ったんだけど、消さなくてよかった……」


 午後の日差しがページに映る影を揺らし、二人の間には、作品を通じてしか伝わらない“ことば”の対話が流れていた。


 一方、彩音はプリントアウトされた全原稿に目を通しながら、冊子の構成案をホワイトボードにまとめていた。後輩たちの個性をどう活かすか、ページ順やテーマの響き合いを考えるその姿は、編集長としての風格すら漂わせていた。


 部室の空気が一瞬止まり、また扇風機の風がふっと流れる。紙の匂い、汗ばむ手のひら、キーボードの軽いタッチ音――すべてが、夏の一冊をつくりあげるリズムのように感じられた。


 そして、掲示板のポスターに目を向ければ、そこには学生たちの“挑戦”が待っていた。


 《第14回 青嶺短編文学賞 募集開始》


「締切、今年は8月末だって」


 悠里がポスターの前で足を止め、隣にいた陽真にそう告げる。陽真は目を丸くして「うわ、どうしよう……書いてみたいけど、何を書けばいいのか……」と悩ましげな声を漏らす。


「ねえ、テーマ決まってたっけ?」


「自由。でも、“この夏、君が見つけたもの”って副題がついてた」


 その言葉に、陽真は「……なんか、いいな」とぽつりと呟いた。子どもキャンプで見た笑顔、帰り道の車窓、由愛や陽翔のまなざし――彼の中で、少しずつ“ことば”になりそうな何かが芽生えていた。


 校舎の窓から見える青空の奥、入道雲がゆっくりと形を変えてゆく。文芸サークルの夏は、創作という形で、その空のように自由で、どこまでも深く、広がっていった。




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