青嶺大学編・ 第74話 文芸サークルのミーティング
青嶺大学編・ 第74話 文芸サークルのミーティング
夕方、文芸サークルのミーティングルームには、窓から柔らかな光が差し込んでいた。机の上にはメンバーたちが持ち寄った作品が並び、集まった一人ひとりがページをめくりながら静かに読みふけっていた。
新入生から先輩まで、静かな期待とほどよい緊張が混ざり合う空間。その中に、由愛と悠里の姿もあった。
由愛は清書した短編を、手作りのしおりを挟んで提出していた。表紙には、淡い色合いの紙に丁寧な字でタイトルが記されている。“やさしいひかりの中で”。施設訪問の体験をもとにしたその物語には、子どもと向き合う彼女の想いが繊細に描かれていた。
悠里の詩もまた、春の風と心のゆらぎを重ねた一篇に仕上がっていた。初めての創作とは思えないほど、行間に想いが込められていた。
陽翔は静かに由愛の物語を手に取り、ページをめくっていく。読んでいるあいだ、時折、ふっと目を細めるような表情を見せる。そして読み終えたあと、しっかりと彼女を見つめて頷いた。
「……由愛、すごく良かった。子どもたちへのまなざしが、やさしくて、まっすぐで……。読んでるうちに、あの子の声が聞こえるようだった」
由愛の頬がふわりと紅く染まる。けれどその顔には、確かな手応えと喜びがにじんでいた。
「ありがとう、陽翔。あなたにそう言ってもらえると、自分の歩いてる道が少しずつ形になってきた気がするよ」
そのそばでは、陽真が悠里の詩を読み終えたばかりだった。ノートを大事そうに持ちながら、真っ直ぐな瞳で彼女に向き直る。
「悠里さん、この詩……本当に素敵でした! 春の匂いとか、風の音とか、ぜんぶが心にすっと入ってきて……癒されました!」
悠里は一瞬驚いたように瞬きをしたあと、照れくさそうに笑った。
「そ、そんなふうに言ってもらえるなんて……ありがとう。まだまだだけど、書いてよかったって思えました」
「もう“まだまだ”なんて言えませんよ! すでにすごいです!」
そのやり取りを微笑ましく見つめながら、久住彩音が静かにふたりの作品を手に取る。何も言わずに、時間をかけてページを読み込むその姿に、場が一瞬だけ静まり返った。
やがて彩音は、視線をあげて、やわらかく微笑んだ。
「二人とも、初めてとは思えないほど、言葉に心が宿っていたわ。由愛ちゃんの物語には、“信じたい”って気持ちがまっすぐに描かれていて……悠里ちゃんの詩は、空気を纏うような繊細さがあった」
そして、ほんの少しだけ、声のトーンを落として続ける。
「書くことって、時に自分と向き合うことでもあるわ。そこに踏み出した二人のこと、私はとても嬉しく思ってる」
悠里と由愛は視線を交わし、少しだけ照れながら、でもどこか誇らしげに微笑み合った。
ミーティングルームに満ちるのは、ことばを通じて通じ合った、あたたかい空気。
“誰かに伝わること”の喜びを胸に、二人の新しい一歩が、確かなものとして刻まれていった。
ミーティング後半、メンバーたちが作品の余韻に浸るなか、彩音先輩が手元の資料を取り出して、場の空気を切り替えた。
「さて、ちょっと雰囲気を変えて……今年の合宿について、そろそろ話し合っていきましょうか」
ざわり、と空気が動く。
「合宿……今年もやるんですね!」陽真が目を輝かせて前のめりになると、隣の悠里も小さく目を丸くした。
「文芸サークルの合宿って、どんな感じなんですか?」
「去年は山間のペンションで、静かな時間の中で創作したり、本を読んだり。夜にはみんなで朗読会もやったのよ」由愛が懐かしそうに振り返ると、陽翔も頷いた。
「テーマを決めて、それぞれが短編や詩を書いたんだ。自然の中に身を置くと、普段と違う発想が浮かんでくるから不思議だよね」
彩音先輩が続けた。
「今年も同じ場所を候補にしているけれど、新入生のみんなの希望も聞きたいわ。できれば来週中には、日程と参加者を決めてしまいたいの。まずは簡単にアンケートを取るから、今日の帰りに記入していってね」
その場には、少しわくわくとした期待の空気が漂っていた。創作だけでなく、仲間との交流も深まる合宿。由愛と悠里も、互いに視線を交わしてそっと頷き合う。
翌週、サークル主催の「初夏のミニ読書会」が開かれたのは、青嶺図書館の中庭に面した読書スペース。木漏れ日が心地よく差し込み、新緑の匂いがふんわりと漂っていた。
テーブルの上には、それぞれが“初夏”をテーマに選んだ一冊と、手書きの感想カードが並んでいる。参加者たちは自由に本を手に取り、思い思いの感想を語り合っていた。
「これ、悠里さんが書いた詩ですよね?」陽真が、悠里の詩が添えられた詩集を手に取って話しかける。
「うん……少しだけど、自分の気持ちを織り込んでみたの。春の終わりと夏のはじまりって、ちょっと切なくて好き」
「分かります! あの季節の、ちょっとだけ胸がぎゅってなる感じ、すごく伝わってきました」
近くでは、由愛が子ども向けの絵本を紹介していた。その表紙には、初夏の空の下で麦わら帽子をかぶった少女の姿。
「この絵本、私が小さいころに大好きだったものなんです。なんていうか……“変わらないやさしさ”を感じる一冊で」
陽翔は、その言葉を聞きながら、ふと由愛の横顔を見た。やさしさと、揺るぎない芯の強さ。言葉を通して、彼女の世界がまた少し見えた気がして、自然と微笑みが浮かぶ。
「由愛の“好き”って、ちゃんと人に届くよ。作品にも、言葉にも」
由愛は驚いたように振り向き、けれどすぐに、柔らかな笑みを返した。
「……あなたにそう言ってもらえると、安心する」
静かに、ことばとことばが交差していく、午後のひととき。
読書会は、まるで誰かの物語の途中に立ち寄ったような、穏やかであたたかい空気に包まれていた。




