青嶺大学編・ 第73話 文芸サークル × 青嶺図書館「春の読書週間」
青嶺大学編・ 第73話 文芸サークル × 青嶺図書館「春の読書週間」
春の陽差しがやわらかく差し込む青嶺図書館のエントランス。その一角に設けられた「春の読書週間」特設コーナーでは、文芸サークルのメンバーが選んだ推薦図書と、それぞれが添えた詩やエッセイ、コメントカードが丁寧に並べられていた。
布張りの展示ボードには、手書きの言葉が温もりを添え、絵本や小説の表紙が色とりどりに並ぶ。通りかかる学生たちが足を止め、静かにページをめくる光景が広がっていた。
その中で、陽翔の書いたミニエッセイ「午後三時の風の中で」がひときわ目を引いていた。淡い水彩の挿絵とともに展示された原稿には、春の午後、ふと立ち止まりたくなるような、そんな静かな時間の描写が綴られている。
——「あの時、ただ風の音を聞いていた。時計の針は進み続けているのに、心だけは少し、過去に立ち止まっていた。」
その文章を読みながら、陽翔はそっと目を細めた。自分が書いたものが、誰かに届いているのかもしれないという感覚が、胸の奥でゆっくりと温かく広がる。
すぐ隣には、由愛が選んだ絵本『そらいろのたね』と、その下に添えられた短い感想メッセージがあった。
——「“あの日読んだ絵本が、今も心を包んでくれる気がする。”」
「……ああ、こういうの、本当に由愛らしいな」
陽翔はそっと笑った。子どもの頃から変わらない、やさしくてあたたかな由愛のまなざし。それが短い言葉の中にも、にじみ出ているようだった。
展示の端に置かれた感想ノートには、来館者たちが思い思いに書き綴った言葉が並んでいた。その中に、見覚えのある丁寧な字があった。
“ことば”って、読むたびに違う表情を見せてくれるんですね。
先輩たちの書く世界に、少しずつ近づけたらいいなって思いました。
「悠里……」
ノートのページに指を添えながら、陽翔は小さくつぶやいた。その文字には、どこか真っすぐで、まるで言葉に耳を澄ませているような静けさがあった。
「……読んでくれてるんだな。伝わってる」
陽翔がそっとノートを閉じたその時、ふと、背後から落ち着いた声がした。
「陽翔くん、あなたのエッセイ、読ませてもらったわよ」
振り返ると、そこには文芸サークルの中心メンバーであり、昨年の副代表だった久住彩音の姿があった。長めのカーディガンを羽織り、視線の奥に静かな光を宿す彼女は、どこか物語の中から現れたような空気をまとっていた。
「感情の描写がとても深くて、引き込まれた。“書くこと”への想いがにじんでいたわ」
陽翔は、少し照れながらも素直にうなずいた。
「……ありがとうございます。彩音先輩にそう言っていただけるなんて、本当に嬉しいです」
彩音は展示されたエッセイの前で足を止めたまま、やわらかく微笑んだ。
「あなたの文章には、飾らないままの心がある。きっとそれが、読む人の心に響くのよ。これからも、自分の感情に正直に、書き続けてほしい」
その言葉は、どこか陽翔の内側にずっと探していた“確信”に近いものだった。
——書くことで誰かとつながれる。
——そして、それはちゃんと届いている。
陽翔は、深く息を吸いながら静かに頷いた。
「はい。書き続けます。自分のことばで、ちゃんと」
春の風が、図書館の開け放たれた窓からそっと吹き抜けていった。言葉たちは静かにその風にのり、また誰かの心へと届いていくようだった。
午後の光がやわらかく差し込む、青嶺図書館の静かな一角。窓辺の席に並んで座る由愛と悠里は、それぞれお気に入りのノートを開いて、静かにペンを走らせていた。
机の上には、色とりどりの付箋や小さなメモ帳、参考にした本たちが散らばっている。けれどその散らかりすら、どこか楽しげな空気をまとっていた。
由愛は、先日の施設訪問で出会った子どもたちとのやりとりをもとに、ひとつの短編物語を書いていた。物語の中では、小さな男の子が不器用に自分の気持ちを伝えようとする様子が描かれている。言葉にならない想いに、そっと寄り添おうとする語り口に、由愛のやさしさがにじんでいた。
一方の悠里は、初めての詩作に挑戦していた。テーマは「春」。心理学を学ぶ彼女らしく、風や光、揺れる花の中に“こころの変化”を重ねて描いていた。自分の感情をことばにすることの難しさと向き合いながらも、何度も書いては消し、じっくりと向き合っていた。
「……由愛先輩、あの……ちょっと見てもらってもいいですか?」
悠里が、ノートを少し傾けながらそっと尋ねる。指差されたページには、こう綴られていた。
——春風は問いかける。
——『ほんとうの気持ち、もう気づいてるんでしょう?』
由愛はその一節を黙読し、ふっと微笑んだ。
「……すごくいいと思う。やわらかくて、でもちゃんと心に届く。悠里ちゃんのまなざしが、風になって伝わってくるみたい」
「……ありがとうございます」
悠里は頬を少し赤らめながらも、どこか誇らしげに笑った。
「由愛先輩の物語も、すごく好きです。子どもたちへのまなざしがやさしくて、読みながら、なんだか心が温かくなりました」
「ふふ……ありがとう。私ね、書いてるとき、あの子の声が聞こえるような気がしたの。『先生、ぼくさ……』って」
由愛がふわりと笑うと、悠里も思わずつられて微笑んだ。
ふたりはそのあとも、お互いのノートを読み合いながら、感想を交わし、ことばを直し合った。批評というより、まるで一緒に小さな庭を耕すような、あたたかで穏やかな創作時間だった。
——“書くこと”は、ひとりだけの作業じゃない。
誰かと分かち合うことで、さらに広がっていく世界がある。
そんな気づきを胸に、ふたりのノートのページは、ゆっくりと色づいていった。
青嶺大学編・ 第73話




