青嶺大学編・ 第72話 文芸サークル × 青嶺図書館「春の読書週間」2
青嶺大学編・ 第72話 文芸サークル × 青嶺図書館「春の読書週間」2
土曜の午後、大学近くの静かなカフェ「ことのね」は、春らしい花のアレンジメントがテーブルを彩っていた。
窓際の席。陽の光がカーテン越しに柔らかく差し込み、コーヒーの香りがふたりの間に静かに満ちていた。
「このカフェ、落ち着くね……」
悠里がそっと呟くと、由愛は笑顔でうなずいた。
「文芸サークルの先輩が教えてくれたんだ。“ことばが浮かぶ場所”って。
……ね、緊張してる?」
「ちょっとだけ。でも、今日は来てよかったです」
テーブルの上には、ノートとペン。隣り合って座るふたりは、何かを始めようとしていた。
由愛が先にノートを開き、淡い字でテーマを書いた。
「春の帰り道」
「……この言葉を見て、思い浮かぶこと、自由に書いてみない? 物語でも、詩でも、日記でも」
「うまく書こうとしなくていいよ。感じたままに、ね」
悠里は深呼吸をひとつして、ペンを手に取る。
最初は戸惑いながらも、一文字、一文字、ゆっくりとノートに書きはじめた。
> 春の帰り道。
> 誰かの声が、風にまぎれて聴こえた気がした。
> 振り返っても、そこには夕焼けと、自分の影だけ。
「……こういうの、でいいんでしょうか」
照れくさそうに差し出されたノートを、由愛は目を細めて読んだ。
「……すごく、やさしい言葉。ちゃんと“悠里の世界”になってるよ」
「夕焼けの中の静けさ、感じた」
悠里の頬が、少しだけ赤く染まった。
「由愛先輩は、どんなのを書いたんですか?」
「えっとね──」
由愛は自分のノートをめくり、そこに綴られた短い詩を見せる。
> つないだ言葉の先に、
> きみの歩幅を見つけた。
> 春の帰り道、もう独りじゃない。
「……わたしも、前は“書くのがこわい”って思ってた。
でも、誰かのことを思い浮かべて書くと、不思議と書けるようになって」
悠里は、ゆっくりと頷く。
「……わたしも、今日のこの時間、きっと忘れません」
窓の外では、春風が枝先の花をそっと揺らしていた。
週明けの夕方、文芸サークルの部室には穏やかな空気が流れていた。
窓から差し込む春の陽が、机の上に広げられたノートやプリントを照らしている。
「じゃあ、今日も新作の読み合わせ、いきましょうか」
部長が軽く拍手をすると、メンバーたちは順に用意してきた作品を手に取った。
由愛は、手元の封筒から丁寧に折られた便箋を取り出す。そこには、先日カフェで書いた詩が、少しだけ言葉を整えて書き直されていた。
> つないだ言葉の先に、
> きみの歩幅を見つけた。
> 春の帰り道、もう独りじゃない。
読み終えると、部屋にはふっとやわらかな沈黙が落ちた。
「……すごく、“由愛ちゃんらしい”ね」
陽翔が微笑む。「言葉がやさしいし、でもしっかり伝わってくる」
「ありがとう」
由愛は照れくさそうに笑いながら、そっと隣の悠里に視線を向けた。
「じゃあ、次は……園田さん?」
悠里は緊張した面持ちで、手書きの原稿用紙を取り出す。
少し息を整えて、ゆっくりと朗読をはじめた。
> 春の帰り道。
> 誰かの声が、風にまぎれて聴こえた気がした。
> 振り返っても、そこには夕焼けと、自分の影だけ。
> でも、ふと気づく。
> その影は、ひとりきりじゃなかった。
読み終えたとき、陽真が小さく拍手をしていた。
「わ……すごい……! 園田さん、文章めっちゃきれいです!」
「雰囲気があって、風景が浮かびました」
「言葉の“間”が、いいですね」
部員たちから次々に感想が上がり、悠里はほっとしたように小さく息を吐いた。
陽翔が優しく声をかける。
「……初めてとは思えない。すごく素直な、いい文章だったと思うよ」
「……ありがとうございます」
悠里の声には、ほんの少しだけ自信が混じっていた。
その様子を見ながら、由愛がそっと囁く。
「……ね、やってみてよかったでしょ?」
「うん……書くの、ちょっと好きになれそうです」
陽真はそのやりとりを聞いて、目を輝かせながら言った。
「今度、ぼくも“春の風景”で書いてみようかな! わからないとこあったら、園田さんに聞いてもいいですか?」
「えっ……私でよければ、どうぞ……」
こうして、新しい“ことば”の芽が、サークルの中で静かに育ち始めていた。
春の空気に包まれた小さな部室には、確かに、それぞれの歩幅で進む物語が重なっていた。
夕方、図書館の特設コーナーには、名残惜しそうにパネルやポップが片づけられていた。
「これで、春の読書週間も終わりか……」
陽翔は最後の推薦ポップをそっと取り外し、由愛と目を合わせる。
その手には、自分のエッセイ「午後三時の風の中で」と由愛の絵本コメントが並んだ小さな展示パネルがあった。
「なんだか、あっという間だったね」
由愛が言いながら、展示に使ったラミネートを丁寧にファイルに収める。
「でも、面白かったな。自分の文章が“誰かに読まれる”って、ちょっとくすぐったいけど、嬉しい」
「うん。……見えないけど、伝わってる感じがしたよね」
ふたりは静かにうなずき合う。
「園田さん、これ、戻しておきますね!」
陽真が、感想ノートと装飾用のしおりを手に走ってくる。
「ありがとう、陽真くん。……どうだった? 初めての読書週間」
「めちゃくちゃ楽しかったです! 本って“自分だけの宝物”みたいに思ってたけど、こうやって感想を交換したり、展示したりって、“分かち合える”んですね」
その言葉に、悠里がふっと優しく笑った。
「……うん。本の感想って、“心の手紙”みたいだなって思ったの。届くかどうかはわからないけど、誰かの時間に、そっと寄り添うことができる」
「園田さんの詩も、そんな風でしたよ」
陽翔が言うと、悠里は一瞬きょとんとして、それから頬を赤らめた。
「……ありがとう。まだまだだけど、少しずつ、書くって楽しいなって思えるようになってきたから」
「“少しずつ”がいいんだよ」
由愛がそっと添える。
外は、すっかり日が落ちて、図書館のガラス越しに夜の街が映り込んでいた。
「ねぇ、帰りに寄り道しない?」
由愛がふと思いついたように言った。
「駅前の文具屋さんで、新しいノート見に行きたいの。……創作用に、ね」
「いいね、それ。俺も新しいペンがほしいな」
「じゃあ僕も!」
「私も、ついていこうかな」
四人の足音が、夜のキャンパスに軽やかに響いていく。
“言葉を綴る”という小さな旅が、またひとつ、新しい一歩を踏み出したようだった。




