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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・ 第69話 5月の課題ラッシュ

 青嶺大学編・ 第69話 5月の課題ラッシュ



 5月の陽射しが差し込む教室。午前の講義が終わったばかりだというのに、学生たちの表情はすでに疲労と焦燥の色を帯びていた。


「……やばい。中間のレポート、三つ重なってるんだけど……」


 陽翔はぐったりと教科書を抱えたまま机に突っ伏し、プリントを扇代わりにぱたぱたと仰いでいる。その肩越しに、由愛が手元の資料を確認しながら苦笑した。


「教育心理と、特別支援教育……あと、実習準備の個人レポート。うん、たしかにこれはきついね」


 ふたりの前の机には、講義で配られたプリントや教科書、参考書が広がっている。その山のような資料を前にしても、不思議とどこか落ち着いた空気が漂っていた。


「……でも、なんか、去年より“目的”を持ってやれてる気がする」


 陽翔が机から顔を上げて呟く。眠たげな目の奥に、静かな光が灯っていた。


「うん。私も。子どもたちの顔、浮かぶもんね」


 由愛もそれに頷きながら、窓の外に視線をやった。新緑のキャンパスが、風に揺れている。春の季節は、ただ穏やかなだけでなく、どこか自分たちを背中から押してくれるようだった。


「この前、ボランティアで会ったあの子のこと、思い出しちゃった。ねえ、“また来てね”って言ってくれた子。あの笑顔、忘れられないな」


「うん。俺も、“先生になるんだよね?”って聞かれてさ……嘘つけないなって思った」


 ふたりの間に沈黙が落ちる。しかし、それは言葉にしなくても伝わる確かな想いの共有だった。


「大変だけどさ、なんか……“未来につながってる”って思えるだけで、頑張れるよな」


「うん。きっと、今のこの苦労も、意味になる。ちゃんと、自分の力になるって信じたい」


 再び視線が重なる。その目には、まだ不安も、迷いもある。でもそれ以上に、“進んでいこう”というまっすぐな気持ちが、春の光を受けて静かに輝いていた。




 午後の講義を終えたあと、陽翔と由愛は図書館の自習スペースに立ち寄っていた。


 春の読書週間に合わせて、文芸サークルが協力している展示コーナーのそばには、「先生になりたい人に読んでほしい本」という特集棚が並んでいる。そこには、教育実習に関するノンフィクションや、子どもとの関わりを描いたエッセイ、そして心の在り方に触れる小説まで、様々なジャンルの本が並んでいた。


「……わ、これ読んだことある。高校の図書室で見たなあ」


 由愛が手に取ったのは、小学校教員になったばかりの若者の葛藤を描いた一冊。ページをめくる手が、懐かしさに少しだけ緩む。


「そういや、由愛って昔からこういうの好きだったよな。俺は……正直、最近やっと読む余裕が出てきたって感じだけど」


「うん。……でも、読むって、気持ちの整理にもなるよね。自分だけじゃ抱えきれない感情とか、ちゃんと誰かの言葉にしてもらえると、すっと入ってくるっていうか」


 隣の机には、悠里の姿もあった。彼女はサークルで回覧された先輩たちの短編を読みながら、ノートに感想を丁寧に書き留めている。


「園田さん、集中してるね……」


 陽翔がぽつりと呟くと、由愛がくすっと笑った。


「悠里ちゃん、ああ見えて真面目だもん。読み専だけど、毎回ちゃんと感想くれるし」


 ふと、由愛がペンを止めて、陽翔に顔を向けた。


「……ねえ、こうしてるとさ、なんだか不思議じゃない? 一年前の自分たちから見ると、今のこの時間って、すごく“先のこと”だったのに」


「たしかに。なんか、少しずつだけど……“あのとき夢見てた場所”に近づいてるのかなって思う」


 言葉を交わすふたりの間に、ふっと静かな空気が流れる。


 図書館の窓の外では、夕陽がゆっくりと山の稜線へ沈み始めていた。


 勉強に、読書に、それぞれの“やるべきこと”を抱えながらも、こうして誰かと肩を並べて過ごせる時間のあたたかさが、ふたりの胸の中にじんわりと広がっていった




 図書館を出た頃には、空がすっかり群青に染まり始めていた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったキャンパスを抜け、由愛と悠里は駅へと向かう緩やかな坂道を並んで歩いていた。


「……夜風、ちょっと冷たいね」


 由愛が小さくつぶやき、カーディガンの前をそっと合わせる。その隣で悠里も頷いた。


「うん。でも、こういう空気、けっこう好きかも。頭の中、すっきりする感じ」


「わかるなぁ……今日みたいに、課題も多くて、いろんなことがぎゅうぎゅうに詰まってるとさ、こういう時間って大事だよね」


 ふたりの歩幅は自然と合っていて、話さなくても気まずくない静けさがそこにはあった。


「ねえ、由愛先輩」


 ふいに悠里が口を開く。少し躊躇いがちに言葉を選びながら、前を見つめたまま続けた。


「……クローバーの活動って、“自分にも何かできるかも”って思わせてくれる場所だなって、最近思うようになってきて」


 由愛は足を止め、振り返るようにして微笑んだ。


「それ、すごく素敵なことだと思う。私もね、最初は“ちゃんとできるかな”って不安ばかりだったよ。でも、子どもと関わるなかで少しずつ……“やりたい”が“できるかも”になっていったの」


「……そっか。なんか、それ聞けて安心したかも」


 歩き出した悠里の表情は、どこか照れくさそうで、でも、ほんの少し誇らしげでもあった。


 坂の途中、道端の小さな花壇に咲いたチューリップが、街灯の明かりを浴びて揺れていた。


「ね、由愛先輩。今度、私にもワークショップの企画……少し手伝わせてもらってもいい?」


「もちろん。むしろ頼もしいよ。……一緒に、いっぱい挑戦していこうね」


 そう言って由愛が差し出した手に、悠里はちょこんと自分の手を重ねる。春の夜風の中で、その手のぬくもりはとてもやさしく、ふたりの距離をそっと縮めてくれた。



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