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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・ 第67話 ちょっとだけ“先輩

 青嶺大学編・ 第67話 ちょっとだけ“先輩



 春の訪れを告げる風が、キャンパスの並木道を吹き抜けていく。花の咲き始めたハクモクレンやレンギョウが、淡い色彩で新年度の始まりを彩っていた。


 陽翔と由愛は、久しぶりに履修登録の相談のため学内に顔を出していた。まだ講義の始まる前、校舎の中はどこかゆったりとした空気が漂っている。


「……なんか、ちょっとだけ“先輩”になった気がするね」


 新しく貼り出されたクラス表や履修案内の掲示を眺めながら、由愛がふと微笑む。隣で陽翔も頷いた。


「うん。でも、まだまだ分からないことも多いし……やっぱり一年生のときに先輩たちが頼りになった気持ち、わかるな」


「ね。クローバーでも、また新しい子たち来るんだよね」


 春の旅先で交わした会話を思い出しながら、ふたりはこの一年で得たものや、これから踏み出していく一歩について、自然に思いを重ねていた。


 クローバーの掲示板の前では、すでに新入生歓迎会の準備が進んでいる様子だった。上級生になった実感が、ほんの少しだけ胸をくすぐる。


「……由愛。今年は、もっと“教える側”の姿勢も大事にしていかないとな」


「うん、私も。夢の“種まき”の一年にしたいって思ってる」


 言葉を交わしながら、ふたりの間に流れる空気は、旅のあとによりいっそう落ち着いた温度を持っていた。ただの恋人ではなく、“同じ未来を見据えて歩むひとりとひとり”として。


 学年の変わり目。それは、少しずつ変わっていく季節と同じように、静かに、でも確かにふたりの関係にも変化の兆しを与えていた。




 春風が校舎の隙間を抜ける頃、青嶺大学のキャンパスには新年度のざわめきが戻っていた。


 午後の学内会議室。クローバーの新入生歓迎会に向けた準備が進む中、陽翔は配布用の案内カードを手に、周囲を見回していた。教室の一角では、由愛が園田悠里と並んで、飾り付け用の紙花を丁寧に折っている。


「先輩、ここってもっと色足したほうがいいですかね?」


 そう尋ねてきたのは、教育学部の新入生・吉岡陽真だった。にこにこと笑いながら、大きめの段ボール箱を抱えている。中には、子ども向けのワークショップで使う予定の道具がぎっしりと詰まっていた。


「うん、もうちょっと春っぽくしてみようか。ピンクとか、黄色とか」


 陽翔がそう返すと、陽真は「了解っす!」と返事をして、無邪気な笑顔で駆け出していった。その姿に、近くにいた由愛が小さく笑う。


「陽真くん、ほんと元気だね。ああいう子が、将来教室にいたら頼もしいかも」


「だな。あいつ、ちょっと天然だけど……まっすぐだよな。なんか、初心思い出すよ」


「……うん。そういうの、大事だと思う」


 隣で紙花を折っていた悠里が、ふと顔を上げた。


「ねえ、陽翔先輩。さっき陽真くんのこと“初心思い出す”って言ってたけど、それって、なんかあったの?」


 言葉を選ぶように間を置いてから、陽翔は頷いた。


「去年の今頃、自分たちもこうやって新歓の準備しててさ。まだ何者でもなかったけど……夢はあって。うまくいかないこともあったけど、ひとつひとつ越えてきた感じがあるんだ。だから、ああやって目を輝かせてる後輩を見ると……ちょっと背筋伸びるというか」


「うん、わかるな……」と由愛が静かに続ける。「私も、悠里ちゃんの話を聞いてると、自分が最初に“子どもと関わる仕事がしたい”って思ったときの気持ち、思い出すの」


 悠里は恥ずかしそうに微笑んだ。


「そんな、私まだ何もしてないけど……でも、先輩たちみたいに、自分の想いをちゃんとカタチにできるようになりたいな」


 その言葉に、場の空気がふっとやわらかくなる。


 やがて文芸サークルの部室でも、新年度の活動が動き始めた。


 読み専として登録した悠里は、まだ自分で作品を書くことには踏み出していないが、先輩たちの作品を読んでは、感想ノートに丁寧な言葉を綴っていた。


 そんな中、陽真は初めて提出した短い掌編を手に、陽翔に見てもらっていた。


「すごい率直で、読んでて気持ちが動いたよ。上手く飾ろうとしてないところがいい」


「ほんとですか!?  いや〜嬉しいっす。でも、自分じゃ全然文章に自信なくて……」


「最初は誰でもそうだよ。でも、“書こう”って思った時点で、もう書き手なんだと思う」


 真剣な陽翔の言葉に、陽真は少し照れくさそうに目を細めた。


 そんなふうにして、ふたりは後輩たちと向き合い、かつて自分たちが先輩たちから受け取ったものを、今度は次に手渡していく春を迎えていた。




 新歓の準備が一段落し、夕方の光が差し込む校舎の廊下。陽翔と由愛は、掲示板に新しく貼り出された文芸サークルの春号発行予定を眺めていた。


「次のテーマ、どうするんだっけ?」


 由愛が問いかけると、陽翔は少し考えてから口を開く。


「“はじまり”にしようかって話してた。春だし、新年度だし――何かが動き出す感じ、今の空気に合ってる気がする」


「うん、いいと思う。……私も書いてみたいな、春からの“私”のこと」


 そう言って微笑む由愛の横顔を見ながら、陽翔はふと、自分の心にもまた新しい何かが芽吹きはじめていることに気づいた。過去を見つめてきたこの一年。でも今は、未来を見据える時間がすこしずつ増えている。


「……由愛。春って、やっぱり“種まき”の季節だなって、改めて思う」


「うん。咲くのは、きっとまだ先だけど……でも、ちゃんと手をかけて、見守っていきたいなって思う」


 ふたりの視線が交わったそのとき、廊下の向こうから陽真と悠里が小走りでやってきた。手には、飾りつけ用のリボンや、文芸サークルの印刷見本など、慣れない手つきで大事そうに持っている。


「先輩たち、次どこ行けばいいっすかー!」


「すみません、文庫部室ってこの階で合ってますか……?」


 その声に、陽翔と由愛は笑みをこぼして頷いた。


「うん、こっちだよ。一緒に行こう」


 さりげなく自然に、でも確かに先導するような一歩をふたりが踏み出すと、新入生たちもその後ろを楽しげに続いていく。


 夕暮れのキャンパスには、春の光と、新しい物語のはじまりを告げる笑い声が、優しく重なっていた。


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