表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あおはる  作者: 米糠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

233/250

青嶺大学編・第63話 文芸サークルの読み合わせ会

 青嶺大学編・第63話 文芸サークルの読み合わせ会



 文芸サークルの読み合わせ会は、新年初号の発行に合わせて行われる恒例の行事だった。薄曇りの空の下、部室の窓から射す柔らかな光が、テーブルの上に並べられた冊子の白い紙面を淡く照らしている。


 数人の部員が輪になって座り、順番に声を出して作品を読み進める。ストーブの静かな音と、ページをめくる音が交互に室内に響く。その中で、由愛の短編が紹介された。


 タイトルは「かすかな音をたよりに」。


 朗読を担当したのは佐倉知花。彼女の落ち着いた声が、ゆっくりと部屋に広がっていく。


 ――物語は、心に小さな迷いを抱えた少女が、同じく迷いながらもまっすぐに歩く少年と出会い、少しずつ変わっていく姿を描いたものだった。目立つ展開があるわけではない。ただ、季節が巡るように、ふたりの距離がゆっくりと近づいていく。その過程のすべてに、ひとつひとつ丁寧な描写と言葉の余白があった。


 陽翔は、最初の一行から自然と引き込まれていた。


「……こんなふうに、気づかぬうちに誰かと同じリズムで歩いていた、なんてこと、あるのかもしれない」


 物語の終盤で語られるその一文が、胸の奥にやさしく残響する。目を伏せ、じっとページを見つめながら、彼の中にあった過去の時間――すれ違い、戸惑い、そしてまた近づいてきた最近の由愛との関係が、ふと重なっていく。


 読み終えた後、部屋の中にしばしの沈黙が落ちた。


「……いい話だったな」


 と、中西悠斗がぽつりとつぶやく。それに続いて、笑花が「言葉の選び方、すごく由愛ちゃんらしくて好き」と微笑みながら感想を述べた。


 由愛は少しだけ照れくさそうにしながらも、静かにうなずいた。陽翔の方を見ると、彼は何かを噛みしめるような表情をしていた。



 その夜。文芸サークルの読み合わせ会を終え、部室の灯りがひとつ、またひとつと落とされていく。部員たちはそれぞれの帰路につき、最後まで残っていた陽翔と由愛もようやく部室をあとにした。


「またねー! 気をつけてねー!」

 佐倉知花の元気な声に手を振り返し、扉が閉まると、静けさが一気に戻ってくる。


 キャンパスはすっかり夜の表情になっていた。薄雲の間から星がいくつか顔を覗かせ、建物の窓に映る照明の光が、白い息にかすかに揺れている。


 ふたりは無言のまま並んで歩き出した。冷えた空気が頬を撫でるけれど、その感触さえも、今はどこか優しく感じられる。風が木々の枝をかすかに鳴らし、足元の落ち葉がさくりと音を立てた。


 しばらく歩いたあと、陽翔がふと口を開いた。


「……あの話、すごくよかったよ」


 その言葉は、あまりに自然に由愛の耳に届いた。けれど、彼の声には、言葉を選ぶような迷いが滲んでいた。由愛がふと横を向くと、陽翔は前を見つめたまま、ゆっくりと話し続けた。


「最初はね、どんな物語になるんだろうって思ってた。でも、あの子がさ……少しずつ誰かと歩調を合わせていくところ……すごく自然で。でも、それだけじゃなくて、心の奥を静かにノックされるような感じがして……」


 陽翔は一拍置き、吐く息を見つめながら言った。


「……読んでるうちに、なんだか、自分のことみたいに思えてきたんだ」


 由愛の目が、ぱちりと瞬く。


 驚きよりも、戸惑いのような、けれどその奥に、嬉しさがじんわりとにじむような表情だった。そして、少し口元をほころばせると、陽翔に向き直った。


「……ほんとに?」


「うん」


「……あれね、実は……去年の冬に、陽翔の短編を読んだときから、ずっと考えてたの」


「俺の?」


 陽翔の声に、由愛はそっと頷いた。手にしていた冊子を胸元に抱えながら、まるで当時の気持ちを思い出すように、静かに語りはじめた。


「ちょっと距離ができちゃったあの時……私、自分の気持ちをうまく言葉にできなかった。でもね、陽翔の作品を読んで、あ……このままじゃだめだって思ったの。ちゃんと伝えたいって。でもすぐにはできなくて……だから書いたの。書いてるうちに、少しずつ気持ちが整理されていったのかも」


 言葉に乗せるのがまだ難しい想い。けれど、その瞳には、何よりも誠実な思いが宿っていた。


 陽翔は歩を止め、キャンパスの街灯の下で由愛の顔を見つめた。淡い光に照らされたその表情は、どこか少し大人びていて、けれどあの頃のまま変わらないやさしさがあった。


「……伝わってたよ。ちゃんと」


 そう言って、陽翔は少しだけ照れくさそうに笑った。その笑みに、由愛も小さく笑い返す。


 ふたりは再び歩き出した。今度はほんの少しだけ、歩幅が揃っていた。


 道の端に積もった落ち葉を踏みしめる音が、ふたりの歩調を優しく繋いでいく。言葉は少なくとも、心の温度はそっと寄り添っていた。


 ──創作という形で伝えた想いが、ちゃんと届いた。


 その確かな実感が、由愛の胸の奥で静かに、けれどあたたかく灯っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ