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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・第62話 ふたりの変化と周囲の視線

 青嶺大学編・第62話 ふたりの変化と周囲の視線



 正門のアーチをくぐった瞬間、冷たい風がコートの裾を揺らした。久しぶりの登校。冬の朝はまだ白く、吐く息は細く空にのぼって消えていく。 


 陽翔はマフラーを巻き直しながら、通い慣れた坂道を歩いた。校舎が近づくにつれて、学生のざわめきが少しずつ増えてくる。けれど、どこかまだ、学内は休みの余韻を残していた。


 中庭に差しかかると、向こうから手を振ってくる姿があった。由愛だ。彼女も同じように冬らしい装いに身を包み、ふわふわと揺れる毛糸の帽子からのぞいた瞳が、柔らかく陽翔を見つめている。


「おはよう、陽翔くん」


「おはよう。……なんか、久しぶりな気がするな」


「ほんの一週間くらい、会わなかっただけなのにね」


 笑い合いながら歩き出したふたりは、そのまま講義棟の方へ向かう。以前より、距離はずっと自然だった。手をつなぐわけでも、言葉で確認し合うわけでもない。でも、互いの気配に寄り添う歩幅が、もうずっと前から決まっていたようにぴったりと重なっていた。




 昼休み、文芸サークルの部室。


 窓から差し込む冬の陽射しが、ゆっくりと床を照らしていた。曇りがちな一月の空の下では、それだけで部屋の中が少しだけ特別な場所のように感じられる。ヒーターの音が静かに鳴り、湯気の立つカップやペンの走る音が、それぞれの時間を穏やかに織り上げていた。


 テーブルの上には、刷り上がったばかりの新年初号の冊子が数部並んでいる。印刷のインクの香りがまだほのかに残るそれを、部員たちは興味深そうにめくっていた。


「ねえねえ、ふたりさ、なんか最近“いい雰囲気”じゃない?」


 そんな言葉が唐突に響いたのは、佐倉知花のいたずらっぽい声からだった。ページをめくる手を止めて、くすっと笑いながら陽翔と由愛のほうを覗き込む。その隣で、笑花も「うん、わかるー」と肩を揺らして同意する。


「冬休みの間に何か進展があったとか、そういう感じ?」


 突然の質問に、陽翔は少し驚いたように目を見開き、それから気まずそうに視線を逸らした。


「う、うるさいな……別に、普通だよ」


 言葉とは裏腹に、耳の先がうっすらと赤く染まっているのを見て、由愛は小さく微笑む。そして、あえて目を合わせないまま「……秘密」と囁くように呟いた。


 そのやりとりに、中西悠斗が顔をしかめつつ、わざとらしくため息をつく。


「はいはい、お幸せに。もう隠しきれてないから」


 そう言いながらも、彼の声にはどこか温かさが滲んでいた。


 それ以上誰も詮索するでもなく、ふたりの間に流れる空気を、ただ静かに受け入れていく。サークルの仲間たちのそのさりげない優しさが、由愛の胸にふわりと広がった。


 隣に座る陽翔が、冊子を一冊手に取って、自分のページをめくる。そこに載った彼の短編は、冬の透明な空気を思わせるような、静かで奥行きのある物語だった。何度も読み返していたその原稿が、こうしてかたちになったことに、由愛は心の底から嬉しさを覚えた。


「……いい話だったよ。すごく、あったかい」


 そう呟いた由愛の声に、陽翔は少し照れたように「ありがと」と返す。言葉は短いけれど、その横顔に浮かぶやわらかな表情は、すべてを物語っていた。


 冬の日差しが、ページの上にゆっくりと影を落とす。


 その午後のひとときは、誰にも気づかれないほど静かで、けれど確かに、ふたりの関係が日常の中で少しずつ、やさしく深まっていることを映し出していた。




 読み合わせ会の準備もいよいよ佳境を迎えた放課後の文芸部室。夕方の陽射しが斜めに差し込む窓の向こうでは、木々の枝が微かに揺れていた。部室の空気は静かで、けれどどこか落ち着いた熱を帯びていた。部員たちはそれぞれに台本や原稿に目を通し、軽く声を出したり、メモを取ったりしている。


 その一角、机を挟んで並んで座る陽翔と由愛の間にも、柔らかな空気が流れていた。


 由愛が手元の原稿を見つめながら、ふと顔を上げる。


「ねえ、この場面……すごく好き」


 そう言って指差したのは、物語の中盤、登場人物が心の迷いを抱えながらも前に進もうとする場面だった。目を細めながらページをなぞるようにして、由愛は続ける。


「でもね、もしここに少しだけ、“揺れ”を入れてみたら……もっと伝わる気がする。たとえば――」


 そう言って、鞄から取り出したのは、いつも持ち歩いている小さなメモ帳だった。表紙の端がすこし擦れて、よく使い込まれているのがわかる。ページをめくりながら、由愛は控えめに一節を読み上げた。


「“……進みたい。でも、立ち止まりたくなる。そんな自分が、時々、嫌になる”――こんな感じかなって」


 その言葉に、陽翔は自然と息を呑んだように、由愛の書いた文字をじっと見つめた。


「……あ、それ、いいかも。なんで気づけなかったんだろ。ちゃんと書いたつもりだったのに、どこか大事なところが薄かったのかも」


 彼の声には悔しさではなく、むしろ目の前にある新しい可能性への驚きがにじんでいた。言葉の奥行きに気づかせてもらえたことが、ただ素直に嬉しかった。


「うふふ。読者目線だからね」


 そう言って笑った由愛の横顔は、柔らかな陽の光に照らされていた。どこかくすぐったそうに、でも誇らしげに微笑んでいる。


 ふたりの間には、以前とは違う静かな親密さがあった。何かを一緒に作り上げるということが、ただ「見せる」「読む」だけではなく、「感じ合う」「分かち合う」ものになってきている。そんな実感が、胸の奥にじんわりと広がっていく。


 陽翔は原稿を机に戻し、少し間を置いてから、ぽつりと呟いた。


「なんかさ、創作って……ふたりで作るものにもなれるんだな」


 言った瞬間、少し照れくさそうに肩をすくめる陽翔。その言葉に、由愛はそっと微笑みながら、彼の横顔を見つめ返した。


「うん。きっと、そういうのもあると思う」


 ページの間から零れる言葉たちのように、やわらかな感情がふたりの間に積み重なっていく。


 外では風が木の葉をさらっていったが、部室の中は穏やかで、まるで冬の陽だまりの中にいるようだった。言葉を交わすたびに、ふたりの距離が少しずつ、確かに近づいていることを、どちらも静かに感じ取っていた。


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