青嶺大学編・第60話 帰省
青嶺大学編・第60話 帰省
年の瀬が近づいた頃、陽翔と由愛は並んで駅のホームに立っていた。セーターの上にコートを羽織り、小さなボストンバッグを手にした姿は、どこか高校生の頃に戻ったような雰囲気さえある。
風は冷たかったが、ふたりの間に流れる空気はどこか柔らかく、穏やかだった。
乗り込んだ電車は、ゆるやかに発車のベルを鳴らしながら走り出す。ごとん、ごとんと繰り返すレールの音に身を預けながら、陽翔は斜め前方の車窓をぼんやりと見つめていた。
冬枯れの田んぼが広がる車窓の外。日が傾きかけた空は淡い朱に染まり、遠くの山々の稜線が静かに浮かび上がっている。やがて、線路沿いの街灯が一つ、また一つと灯りはじめ、どこか懐かしく胸に沁みる風景が流れていった。
「……今年も、いろいろあったね」
由愛の声は、車内の空気に溶け込むようにやさしく響いた。彼女は手袋をした手でマフラーを少し持ち上げ、微笑みながら陽翔を見つめる。
陽翔は小さく笑い返し、頬をかくようにして答える。
「なあ、思ってたよりも“大学生の冬”って、慌ただしいな。レポートに試験に、ボランティアに……」
「ね。高校のときは、“冬休み=まったり”だったのに」
由愛がそう言って小さく肩をすくめると、ふたりの間に小さな笑いがこぼれた。その笑顔を交わせる時間が、忙しさを越えて得た何よりのご褒美のように思えた。
そうして時間は流れ、やがて列車はふたりの地元の駅へと滑り込んだ。ブレーキの音とともに扉が開くと、懐かしい冷気がふわりと頬を撫でた。都心の喧騒が駅の構内に広がっている。
ホームには、年末年始を前に帰省した同世代の姿も見える。中学や高校の制服を思い出すような顔ぶれが、照れくさそうに手を振り合っていた。
陽翔と由愛は階段を降り、改札を出て駅前に立った。ふたりの家は同じ市内にある。けれど別々の帰り道が、ほんの少しだけ距離を感じさせた。
「……じゃあ、またね。年越しくらいは、こっちで一緒に過ごそ」
陽翔が言ったその言葉に、由愛は小さくうなずいた。頬にかかる髪を耳にかけながら、優しい笑みを返す。
「うん。楽しみにしてる」
その言葉の奥には、ふたりで過ごす冬が、今や“あたりまえ”になりつつあるという、静かな実感が込められていた。
手を振って別れた後、ふたりはそれぞれの家へと歩き出した。アスファルトに足音が小さく響く。帰り道の途中、ふと空を見上げると、夜の帳が静かに降りはじめていた。
ほんの十数分の距離――けれどその間、ふたりの心にはさっきまで隣にいたぬくもりが、確かに残っていた。
──そして、大晦日。
夕暮れが落ちる頃には、町全体がどこか浮き立つような空気に包まれていた。年越しを迎える地元の神社では、参道に色とりどりの屋台が並び、焼きそばやたこ焼き、甘酒の香りが冷たい空気の中に広がっていた。灯籠の明かりがほのかに地面を照らし、子どもたちのはしゃぐ声と鈴の音が、遠くから聞こえてくる。
夜の帳が降りた頃、駅前にふたたび現れたふたりは、自然な動作で手を繋いだ。手袋越しでも伝わる、確かなぬくもり。
「やっぱり、ここの年越しが一番落ち着くね」
由愛がそう呟くと、陽翔は肩をすくめながら笑った。
「うん。ちょっと寒いけど……この空気が、なんか、好き」
高校の頃、こうして並んで歩いた冬の記憶が、夜風に揺られてふわりと蘇る。あの頃よりも少し背が伸びた陽翔の隣で、由愛はその記憶にそっと寄り添うように歩いた。
参拝の列に並びながら、ふたりは特別な会話を交わすわけでもなかった。ただ、並ぶ肩がふと触れるたびに、それが今の関係を物語っていた。
願い事を胸の中に収めて柏手を打ったあと、ふたりは甘酒を受け取り、境内の焚き火のそばへ移動した。竹で組まれた焚き火台の中で、薪がパチパチと音を立てて燃えている。ゆらぐ炎に照らされた由愛の頬が、ほんのりと赤く染まって見えた。
「来年も……再来年も、ずっと一緒にこうしていられたらいいな」
陽翔の呟きは、炎の音に溶けるように静かだったけれど、その一言にはたしかな温度がこもっていた。
由愛は言葉を返す代わりに、しばらくその言葉の余韻を胸に浸し、そっと彼の手を握り返した。自分でも驚くほど自然に、それができた。
「きっと、いられるよ。だって、私たち……ちゃんと、乗り越えてきたもん」
その声には、優しさだけでなく、確信にも似た強さがあった。
零時を告げる鐘の音が、静かな空にひとつ、またひとつと響き渡る。境内にいる人々のざわめきが一瞬だけおさまり、ふたりは寄り添って夜空を見上げた。
澄んだ冬の空に、星がいくつもまたたいている。未来はまだ、ぼんやりとした輪郭のままだけど——
でも、この手のぬくもりと、そばにいる確かな存在。それだけで、新しい一年が少し楽しみになるような気がしていた。




