表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あおはる  作者: 米糠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

229/250

青嶺大学編・第59話 冬休み、由愛と陽翔の日帰り旅行

 青嶺大学編・第59話 冬休み、由愛と陽翔の日帰り旅行



 列車の窓から差し込む冬の光が、静かに揺れる。

 朝の遅い時間、すこし冷えた空気のなかを、電車はゆっくりと山間の駅へ向かっていた。


 車窓の向こうには、白く霜の降りた畑と、煙を立てる民家の屋根。

 まるで時がゆるやかにほどけていくような風景に、由愛は頬杖をついたまま目を細めた。


「……なんだか、不思議だね。高校の頃は、こんなふうにふたりで遠出って、なかった気がする」


 隣に座る陽翔が、小さく笑った。


「うん。受験、受験って言って……。でも、それでも楽しかったよな。あの頃の駅前のファミレスとか、放課後の帰り道とか」


「ね。……今でも、思い出すよ。制服のまま、暗くなるまで話してたのとか」


 電車の中には他の乗客もいたけれど、その小さな空間のなかで、ふたりの記憶だけが静かに呼吸していた。


 ⸻


 温泉街の駅を降りると、澄んだ空気とともに、ふわりと硫黄の匂いが鼻をくすぐった。

 吐く息が白く浮かぶ。冬の静けさをまとった山あいの町には、どこか懐かしいような、時間がゆっくりと流れている気配があった。


 駅前には手書きの観光マップがあり、赤い屋根の古い旅館や、小さな饅頭屋、木彫り細工の店などが並ぶ通りが描かれている。

 そのすぐ先では、湯けむりを立てながら走る小川に、赤い橋がかかっていた。


「わ……雪、ほんのり積もってる」


 由愛が小さく声を上げる。足元の石畳の隙間や軒下には、昨夜の雪がうっすらと残っていた。

 冷たい空気に頬が染まり、由愛はマフラーをきゅっと巻き直す。


 そのとき、彼女の手袋の上から、そっと陽翔の袖をちょんとつまんだ。


「歩こっか。あの足湯、行ってみたい」


 陽翔が顔をこちらに向ける。目元がやわらかく緩んで、頷いた。


「うん、行こ」


 ふたりはゆっくりと石畳の道を歩き出す。

 観光客の笑い声や、湯気の立つ蒸し器の音、風に乗って流れる温泉饅頭の甘い香り――そんな町の喧騒を背に、ふたりだけの時間が静かに始まっていた。


 手はつないでいない。でも、歩幅は自然と揃っていた。

 由愛が少し前に出ると、陽翔も同じ速度で追いつき、横に並ぶ。

 気づけば、肩がすこしだけ触れるほどの距離になっていた。


 (あれ……こんなに近くにいるのに、全然、気まずくないんだ)


 由愛はふと思う。すれ違っていた時期が嘘のように、今は隣にいるだけで安心できる。

 陽翔の横顔をそっと見やると、彼もまた穏やかな表情で、目の前の景色を見つめていた。


 小さなことが、愛しくなる。何でもない会話や、沈黙すら、心地いい。


 並んで歩くこと。それが今のふたりにとって、何よりも大切な「確かさ」なのかもしれなかった。



 木造の東屋の下にある足湯は、湯けむりが立ちのぼる中、観光客の声もどこか遠く、ふたりきりの世界のように静かだった。


 湯に足を浸すと、じんわりと芯から温かさが広がっていく。寒さでこわばっていた足先が、ゆっくりとほどけていくのがわかった。


 由愛は湯面を見つめながら、ふいに顔を上げる。

 冬の午後は早く、空はすでに淡い灰色に染まり始めていた。雪が降るにはまだ少し時間がありそうだが、空気には確かな冷たさと、降りそうな気配が混じっている。


 肩を寄せ合いながら、ふたりは並んで座っていた。

 ほんの少しだけ熱めの湯が、頬をほてらせる。けれどその熱よりも、隣にいる人の存在が、不思議なほど心をあたためていた。


 ふと、由愛がぽつりと呟いた。


「……ねえ。もし、陽翔が別の大学行ってたら、今みたいにいられなかったかな」


 言ったあと、すぐに後悔したように小さく俯く。

 でもそれは、ふたりの歩いてきた時間があったからこそ、生まれた問いだった。


 陽翔は少し黙ったあと、視線を遠くの湯けむりへ向けたまま答えた。


「んー、わかんない。でも……俺、同じとこ目指してよかったって、今は心から思ってる」


 その声は静かで、真っ直ぐだった。

 無理に飾った言葉ではなく、陽翔の中から自然にこぼれた本音。その素朴な重みが、由愛の胸の奥にすっと染み込んでいく。


 由愛は、伏せていた目を少し上げて、湯気の向こうに見える彼の横顔を見つめた。

 輪郭は柔らかく、吐く息が白く消えていく様子が、どこか幻想的で――少しだけ切なかった。


「……わたしも、そう思うよ」


 言葉にするまで、少し時間がかかった。けれどそのぶん、その一言にはたしかな思いが宿っていた。


 迷って、悩んで、すれ違って――それでも今、こうして隣にいる。

 あのとき、選んだ道が間違っていなかったと、心から思えるからこそ、今のぬくもりが尊く感じられた。


 由愛は足を揃え直し、小さく肩を寄せた。

 言葉はもういらなかった。ただ、こうして隣にいること。それだけで、心がじんわりと満たされていくようだった。



 日が傾きはじめた頃、ふたりは温泉宿に併設された小さなカフェにいた。

 木のぬくもりが感じられる店内は、ほのかに甘い匂いと湯気で満たされ、冷えた体と心をそっと包み込んでくれるようだった。


 大きな窓のそば、窓際の席に並んで座り、テーブルの上には湯気の立つココアと、小さくて丸い手作りのチーズケーキ。

 ココアの表面には小さなハート型のラテアートが描かれていて、由愛がそれを見つけて小さく笑う。


「……かわいい」


 そう呟いた声は、どこかほっとしているようでもあり、ちょっぴり照れているようでもあった。


 窓の外では、古い旅館の看板が一つ、また一つと灯りはじめていた。

 夕暮れの薄明かりのなかで、その灯りはまるで誰かの帰りを待つように、やさしく道を照らしていた。


「……将来のこと、ちゃんと話せる時間、またつくろうね」


 ケーキをひと口食べた後、由愛がふと切り出した。

 その声は静かで、でも芯のある響きを持っていた。

 まるで自分の中にある不安と希望を、ゆっくり言葉に乗せて差し出すように。


 陽翔は少し驚いたように由愛の横顔を見たが、すぐに柔らかく微笑んで、短く「うん」と頷いた。


 未来は、まだぼんやりとしている。

 教育の道を進むという目標は同じでも、具体的な夢や場所、それをどう叶えていくかは、まだ手探りのままだ。


 だけど、こうして隣で、同じカップの湯気を見つめながら、同じ時間の流れを感じていられること――

 そのことが、なにより確かで、幸せだと思えた。


 やがて、帰りの列車がホームに滑り込む音が聞こえ、ふたりはカフェを後にした。


 車窓に映るのは、すっかり夜の顔に変わった温泉街。

 灯りが川面に揺れ、湯気の残る路地が、静かに彼らを見送っているようだった。


 列車のシートに並んで座り、由愛は陽翔の肩にもたれるように身体を預けた。

 陽翔は小さく驚きながらも、何も言わず、そっとその肩を受け止めた。


 言葉もなく、ただ寄り添うように目を閉じる。

 揺れる車内、時折響く線路の音が心地よいリズムになって、ふたりの静けさを包み込んでいく。


 その沈黙が、なにより確かな絆を感じさせていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ