青嶺大学編・第53話 青嶺子どもフェスタ
青嶺大学編・第53話 青嶺子どもフェスタ
放課後の教育学部棟。窓の外では、夕暮れが校舎を橙色に染め始めていた。
廊下の一室――いつものクローバーの活動部屋では、来週に迫った「青嶺子どもフェスタ」に向けて、にぎやかな準備が進められていた。
壁には手作りのポスターやイラストが貼られ、テーブルの上には画用紙や絵の具、折り紙が散らばっている。子どもたちが遊べるゲームブースや読み聞かせコーナー、工作体験など、出し物は盛りだくさんだ。
「じゃあ、“木の実でつくるミニリース”は、陽翔くんと由愛ちゃんペアでお願いできる?」
宮田先輩がそう言って笑顔を向けると、由愛と陽翔は顔を見合わせ、ふっと笑った。
「はい、頑張ります」
由愛が返事をし、陽翔も小さく頷く。
ふたりでひとつの段ボール箱を開けると、色とりどりの木の実や小枝、リボンや小さな飾りがぎっしりと詰まっていた。
「これ……意外とかわいいね」
由愛が指で木の実を転がしながら微笑む。
「子どもたち、喜んでくれるといいな」
陽翔は、由愛の横顔を少しだけ見つめた。真剣に素材を選ぶその表情に、やわらかな優しさが滲んでいる。
――この数週間で、由愛は少し変わった気がする。
弱音を吐くことを恐れず、ちゃんと“今”の気持ちを言葉にするようになった。
そして何より、ふたりのあいだの距離が――また、自然と近くなっている。
「ねえ、これ、ちょっと見て。ほら、小さなドングリをこの布で包んだら、帽子みたいになるよ」
由愛がふわりと笑いながら差し出した小さな作品。陽翔はそれを受け取りながら、思わずふっと笑った。
「なんか、由愛っぽいな、こういうの。優しくて、ちょっと不器用だけど一生懸命で」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん」
くすっと笑いあったその瞬間、夕陽が窓から差し込み、ふたりの手元を暖かく照らした。
騒がしい準備室の中、ふたりの周囲だけがほんのりと静かに感じられる。
(この時間が、ずっと続けばいいのに)
そんなふうに思ったのは、陽翔だけではなかった。
――けれど、その静けさを、ひとつの声が破った。
「陽翔くん、こっちの段取りも見てくれない? ちょっと手が足りなくて」
振り返ると、そこには瑠海の姿があった。
「あ……うん、わかった。ちょっと行ってくるね」
「うん、大丈夫」
由愛は微笑んで見送ったけれど、その胸の奥にかすかな揺れが波紋のように広がっていた。
陽翔が瑠海と並んで話しながら作業を始める姿を、少し離れた場所から見つめる。――その背中が、急に遠くなった気がした。
(……ちゃんと信じてる。信じてるけど、でも)
自分でもまだ整理しきれていない“揺れ”が、確かに心の中に残っていた。
けれど、視線を戻した先には、小さなドングリのリースがあった。ふたりで作り始めた、小さな“かたち”。
由愛はそれをそっと手に取り、深く息を吐いた。
(きっと、大丈夫。ちゃんと話せば、伝わる)
明るく笑う子どもたちの姿を思い浮かべながら、また手を動かし始める。
そのリースには、まだ途中の飾りがいくつも残っていた。
だけど、仕上げるのは――これからだ。
秋晴れの空の下、「青嶺子どもフェスタ」の会場は、朝から明るいざわめきに包まれていた。
大学の中庭と学生ホールを使って開催されたこのイベントには、地域の親子連れが大勢訪れていた。赤や黄に色づいた木々の下、子どもたちの笑い声が風に乗って響く。
「わあ、すごい! にぎやかだね」
由愛は、クローバーのスタッフ用エプロンをつけながら、少し緊張した面持ちで中庭を見渡した。
「うん。思った以上の人出だね。……がんばろっか」
陽翔が隣で微笑み、彼女にだけ聞こえる声で言う。由愛はその声に肩の力がふっと抜けるのを感じた。
ふたりが担当するのは「木の実でつくるミニリース」ブース。秋の実や葉を使って、子どもたちが自由に飾りつけできる工作コーナーだ。
テーブルにはすでに数人の子どもたちが集まり、小さな手でどんぐりやリボンを一つひとつ選んでいた。
「ここにリボンを巻いてみる? そうそう、上手だね」
由愛はしゃがんで目線を合わせ、丁寧に声をかける。子どもがにっこりと笑い、隣で見ていた母親も微笑む。
「……うまくやってるな」
陽翔は少し離れた場所で材料の補充をしながら、その様子を見ていた。
以前の由愛だったら、人前でこんなふうに振る舞うのは緊張で固まっていたはず。けれど今は、自然に、まるで水に手を差し出すように子どもたちと関わっている。
(ちゃんと、変わってきてるんだ)
陽翔はそんな由愛の横顔を見つめながら、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
昼を過ぎ、少しブースが落ち着いた頃。陽翔と由愛はテントの裏手にまわり、ひと息つく。
「ねえ、さっきの子、すごく嬉しそうだったね」
由愛が言うと、陽翔は頷いた。
「あの子、完成したリースをお母さんに見せるとき、すごい得意げだった」
ふたりは並んで腰を下ろし、手元の紙コップに入ったホットココアを啜る。
周囲はまだ人でにぎわっていたけれど、この場所だけは、少しだけ音が遠かった。
「……今日は、陽翔と一緒で、よかった」
由愛が小さくそう呟いた。
「うん。俺も」
短い言葉。でも、それだけで充分だった。
風が吹き抜け、金木犀の香りがふたりの間を通り過ぎた。
何かが、確かに戻りつつある。だけど、それは以前とまったく同じではない。少しずつ成長して、変わっていくふたりの“今”だった。
由愛は陽翔の手元に視線を落とし、そっと笑う。
「ねえ……リース、もう一個だけ、一緒に作ってみない?」
「うん。ふたりで作るやつ、な」
同じ枝を持ち、同じリボンを巻いていく。作りながら、お互いの温度を感じられる時間。
小さなリースが、ふたりの手の中で少しずつ形になっていった。
それは、これからのふたりが歩いていく未来の、ささやかな象徴のようでもあった。




