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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・第51話  中間試験

 青嶺大学編・第51話 中間試験


 キャンパスの夕暮れは、すっかり秋の色に染まっていた。


 教育学部棟を出た由愛は、歩き慣れた中庭のベンチへと向かっていた。約束の時間より少し早く着いてしまったが、すでに陽翔はそこにいた。


 落ち葉の降り積もるベンチに、ノートを膝に置いて座っている。その姿が、どこか懐かしくて、由愛の胸にふわりと温かさが灯った。


「……ごめん、待った?」


「いや、俺もさっき来たとこ」


 陽翔は少し照れたように笑って、由愛の隣をぽんぽんと軽く叩いた。促されるまま、由愛はそっと腰を下ろす。ふたりの間に流れる空気は、数週間前よりもずっと柔らかかった。


 風が吹くたび、木の葉がかさりと音を立てて舞う。


「中間、もうすぐだね。やばいよ、範囲広くて」


 由愛が苦笑まじりに言うと、陽翔も肩をすくめた。


「保育心理のノート、見せてもらっていい?」


「うん、もちろん。ていうか、教えてもらいたいところいっぱいあるし」


 互いに視線を合わせないまま交わされるやりとり。それでも、ふたりの距離は、以前のぎこちなさから一歩前に進んでいるように感じられた。


 由愛はふと視線を落とし、指先でベンチの縁をなぞる。


「ねえ、陽翔」


「ん?」


「この前……悠真くんと話したの。ボランティアの報告会のあと、少しだけ」


 陽翔は小さく目を見開いたが、何も言わず頷いた。


「彼、すごく優しくて、ちゃんと話を聞いてくれて……そのとき気づいたんだ。私、最近、自分のことでいっぱいいっぱいだったなって」


「……」


「陽翔のこと、ちゃんと見ようとしてたつもりだったけど、全然足りてなかった。自分が頑張ることで精一杯で……支え合うって、もっと一緒に悩むことだよね」


 陽翔は黙ったまま、由愛の言葉を受け止めているようだった。


「なんていうか、私……やっとちょっと、気持ちの整理ができた気がするの」


 少しだけ震える声。でもその中に、確かな決意があった。


「今の私、たぶん前よりちゃんと陽翔のこと、見ようとしてる。だから……また、ちゃんと話したい。これからのこと、一緒に考えたい」


 由愛の瞳が、まっすぐに陽翔を見つめる。

 陽翔はゆっくりと、けれど確かに頷いた。


「……ありがとう。由愛がそう言ってくれて、嬉しいよ」


 彼の声もまた、秋の空気のように優しかった。


「俺も、自分の気持ちをちゃんと伝えるの、怖かった。でも、ちゃんと向き合いたいって思ってる」


 小さく、でも確かに。ふたりの手が、ベンチの上で触れた。まだ指先を繋ぐわけじゃない。けれど、そこには以前にはなかった温度があった。


 秋の夕暮れ。試験の不安も、将来の迷いも、その瞬間だけは遠くに感じられた。


 ふたりは、静かに空を見上げた。


 ――そこにあるのは、新しく芽生えはじめた信頼と、もう一度つなごうとする心だった。




 陽翔と向き合ったあの日から、空気がほんの少しだけ変わった。


 季節はすっかり秋の色を深め、青嶺大学のキャンパスにも木の葉が積もり始めていた。冷たい風にセーターの袖を引っ張りながら、由愛は図書館の階段を一歩ずつ上っていく。


 試験週間が目前に迫り、キャンパス全体がどこか慌ただしい。学生たちの足取りも速く、誰もがレジュメや参考書を抱えていた。そんな空気の中、由愛の歩みは穏やかだった。


(少しずつ、戻ってきてる気がする)


 陽翔とベンチで交わした言葉。その後、ふたりは改めて一緒に過ごす時間を増やした。図書館で教科書を開いたり、カフェで要点を確認しあったり。以前のように自然に笑い合える瞬間は、まだ少しぎこちないけれど、確かにあった。


 この日も、陽翔と「今日は心理学のまとめを一緒にやろう」と約束していた。


 図書館の窓際の席には、すでに彼の姿があった。開いたノートには、びっしりと手書きの文字。ペンを持つ指が少しだけ震えているのに、由愛は気づいた。


「おつかれ。ごめん、ちょっと遅れた」


「ううん、今来たとこ。……ほら、昨日の保育実践論、ここ間違ってたみたいでさ」


 そう言って差し出されたページを覗き込みながら、由愛は静かに笑った。


「ね、これさ。陽翔がこっちの事例も覚えてたの、すごいって思ったよ。私、完全に飛ばしてたもん」


「マジで? ……じゃあ、俺、役に立ったってことでいいのかな」


「うん。すっごく、立ってる」


 そう言って目を合わせた瞬間、ふたりの間に小さな沈黙が落ちた。けれど、それは気まずさではなく、心がふっと温まるような沈黙だった。


(ちゃんと、伝わってる)


 由愛はそう思った。あのとき言えた「また話そう」「一緒に考えたい」という言葉が、ちゃんと陽翔の中に残ってくれている。それだけで、心の奥が少しだけ軽くなる。


 外では風に煽られた葉が舞い、窓にカサカサと音を立てていた。

 秋はすべてを静かに、でも確かに深めていく季節。


 ふたりの間にできた隙間も、こうして少しずつ埋まっていくのかもしれない。


「……陽翔」


「ん?」


「試験終わったら、どこか行こう。……気分転換、したいなって」


 一瞬だけ驚いたように陽翔が目を丸くしたあと、ゆるく笑った。


「うん、行こう。……どこでも」


 図書館の静けさの中、小さく、でも確かな絆が音もなく結ばれていった。


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