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あおはる  作者: 米糠


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青嶺大学編・第50話  芽吹く想い

 青嶺大学編・第50話 芽吹く想い



 10月中旬。青嶺大学キャンパスの銀杏並木が、ほんのりと黄金色に染まり始めていた。


 午後の講義が終わったあと、由愛は教育学部棟の裏手にある小さな中庭に足を運んだ。そこは、クローバーのメンバーが打ち合わせや資料整理に使うこともある場所で、今は静かに秋の風が吹いているだけだった。


 ベンチに座ると、由愛は膝の上に開いたままの手帳をじっと見つめた。そこには高峰教授との個別面談のメモが書き残されていた。


 ――「現場で寄り添いたいのか、もっと深く“心”を見つめたいのか、あなたの中にある軸を探してごらんなさい」


 自分の「好き」は、確かに子どもと触れ合うこと。でも、最近のボランティア活動の中で、ふとした仕草や沈んだ顔に目がいくようになって――どうしてあの子は、あんなに悲しそうだったのか。自分は何もできなかったんじゃないかって、考えるようになった。


「……なんか、よくわからなくなっちゃって」


 小さくこぼした独り言に、横から穏やかな声が返ってきた。


「橘さん、少し話せますか?」


 顔を上げると、柔らかな日差しを背に、佐倉悠真が立っていた。白シャツの上にベージュのニットを羽織り、手には分厚いノートを抱えている。


「あ……うん。ごめんね、こんなとこでぼんやりして」


「いえ。僕も、ちょっと頭を整理したくて来たんです」


 ふたり並んで座ると、悠真がノートを開いて見せてくれた。そこには、ボランティアで関わった子どもたちの行動観察や、そこから読み取れる心理的傾向についての考察が丁寧に綴られていた。


「すごい……これ全部、書いたの?」


「はい。観察記録のつもりで始めたんですが、気づくことが多くて。……由愛さんも、最近悩んでいるんですか?」


 一瞬、返事に詰まった。でも、否定しようとする前に、由愛はふっと小さく息を吐いてうなずいた。


「うん……保育士になりたいって思ってた。でも、最近、子どもの“気持ち”のことが気になって。何かあるのに、何もできない自分が悔しくて。だったら心理の道に行くべきなのかなって……」


 秋風が、ふたりの間をすっと通り抜けた。


 悠真は、少しだけ間を置いてから、静かに言った。


「僕は、由愛さんが“何もできなかった”とは思いません。たとえ言葉が届かなくても、その子の表情に気づいた時点で、きっと心は動いているはずです。……気づける人が、そばにいるって、子どもにとって大事なことだと思うんです」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。涙が出るほどじゃない。でも、冷えていた指先がふっと溶けるような感覚。


「……ありがとう。悠真くんって、ほんとに……静かだけど、まっすぐなんだね」


 彼は少しだけ照れたように笑って、「由愛さんも、ですよ」と返した。


 ふたりはそのまま、夕暮れが降りてくる中庭でしばらく言葉を交わした。進路の話も、授業のことも、子どもたちの笑顔のことも。


 けれど心のどこかで由愛は気づいていた。


 この穏やかな時間の中で、自分の気持ちが、ほんの少し揺れていることに。


 そしてそれは、陽翔の知らないところで静かに芽吹いている想いでもあった――。



 その日の夕方、由愛はゆっくりと教育学部棟を出た。


 中庭のベンチで悠真と過ごした時間が、心の中でまだ静かに揺れている。空はすっかり茜色に染まり、校舎の窓がその色を反射して、まるでキャンパス全体が淡く火照っているようだった。


(……私、あのとき、ほっとしてた)


 悠真の言葉に救われた。でもそれ以上に、あの眼差しに、声の温度に、心が撫でられるような感覚があった。


(陽翔とは、ちょっと違う…)


 そう思った瞬間、胸の奥に小さな罪悪感が芽生えた。


 陽翔のことが嫌いになったわけじゃない。むしろ、ずっと大事な存在だ。

 一緒に大学を目指して、支え合って、今も隣にいる。けれど――


(最近の私は、陽翔の心を、ちゃんと見てあげられてたかな)


 あの日、文芸サークルの原稿を読んで泣いたのは、きっと彼の本当の気持ちにやっと気づけたからだった。


 けれど今、自分は悠真の前で素直に弱音を吐いて、心を軽くしてもらっている。


(……ずるいな、私)


 足元の落ち葉が、秋の風にふわりと舞った。由愛はそれを見送りながら、そっと胸元に手を当てる。


(ちゃんと、自分の気持ちを整理しなきゃ)


 陽翔のことも、未来の進路も、そして――

 今、誰の言葉に心が揺れたのかも。


 自分をごまかさず、まっすぐ見つめなくちゃいけない。


 キャンパスの坂道を下りながら、由愛はポケットからスマホを取り出した。


「ねえ、陽翔。少し話せるかな?」


 LINEの送信ボタンを押す指先が、ほんの少し震えた。


 でも、その震えの奥には、小さな決意が確かに宿っていた。


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