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あおはる  作者: 米糠
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青嶺大学編・第47話 青嶺祭

 

 青嶺大学編・第47話  青嶺祭



 青嶺祭がいよいよ近づくと、キャンパスはさらに忙しさを増していた。学食前の広場は、準備のためにテントが立ち並び、学生たちの声が絶え間なく響く。陽翔と由愛は、文芸サークルの朗読劇の準備を進めながらも、どこか落ち着かない気持ちを抱えていた。


「明日の本番、ちょっと緊張するね……」


 由愛は手に持ったチラシを広げながら、少しだけ肩をすくめて言った。その顔には、いつもの穏やかな表情が浮かんでいるが、眼差しはどこか遠くを見つめている。


 陽翔は、そんな由愛にふと視線を合わせた。


「大丈夫だよ。由愛がいるから、きっと上手くいくって。――お前の声、子どもたちにも届くと思う」


「陽翔くんの文章も、すごくいい。あの原稿、ほんとに……」


 由愛は微笑んだ。陽翔が書いた、朗読用の改訂版の原稿。それは、彼が抱えていた無力さや悩みが繊細に表現されたもので、由愛はその言葉の中に陽翔の真剣さを感じ取った。


「でも、ずっと不安だったんだ。子どもたちにうまく伝えられるのかなって」


 陽翔の声には、少しだけ自信のなさがにじみ出ていた。彼は無意識に目を伏せながら言ったが、その言葉の後に続く静寂の中で、由愛はしっかりとその気持ちを受け止めた。


「わかるよ、陽翔くん。でも、私も不安だし、でもだからこそ、ふたりでやるんだよね」


 彼女は小さな笑みを浮かべ、手を差し出すようにして、陽翔の手を軽く触れた。


「不安なのは当たり前だよ。でもね、わたしは陽翔くんがいるから、きっとやり遂げられるって信じてる。だから、ふたりでやろう?」


 その一言に、陽翔は少し驚きながらも、じっと由愛を見つめた。彼の胸の奥で、どこか温かいものが広がっていくのを感じた。


「……ありがとう」


 陽翔は、心からそう言った。そして、手を握り返すと、二人の間にあった小さな距離が、少しだけ縮まった気がした。




 青嶺祭当日、キャンパスはまるで色とりどりの灯りに包まれたように賑やかだった。テントや出店が並び、学生たちが楽しそうに歩き回っている中で、陽翔と由愛は、文芸サークルのブースに向かう途中、少しだけ手を繋いで歩いていた。


「さっき、悠真くんが『あの朗読劇、絶対感動する』って言ってたよ。……頑張ろうね」


 由愛が微笑みながら言うと、陽翔も少し緊張しつつも頷いた。


「うん。絶対にうまくいかせような」


 部室に到着すると、すでに数人のサークルメンバーが集まって準備をしていた。普段の静かな部室とはうって変わり、皆が忙しなく動き回り、空気は少しだけピリッと張り詰めている。


「さぁ、もうすぐ始まるよ! 緊張するけど、頑張ってね!」


 久住先輩が、にこやかに声をかけてくれた。その言葉に、陽翔は少しだけ深呼吸をして、由愛に目を向けた。彼女も、同じように息を吐いてから、力強く頷いた。


「いってきます!」


 二人は並んで、会場へと足を運んだ。




 会場の前に立った時、陽翔は少しだけ視線を上げて、周りを見渡した。照明が暗く、舞台の上にスポットライトが当たると、観客席に集まった学生たちの顔が浮かんで見える。


 その中に、知花や悠斗、中原先輩、そして……由愛の親もちらりと見えた。子どもたちがワクワクとした表情で座っている様子も、陽翔には新鮮に映った。


「さぁ、始めますよ」


 久住先輩が軽く合図をすると、陽翔は深呼吸を一つ。由愛が隣に立つその温かさを感じながら、彼は心を落ち着けて、朗読を始めた。


「――彼は星を売る少年だった」


 陽翔の声が、静かな会場に響き渡る。その声に、由愛が軽く合わせるように一歩踏み出し、手を差し出す。


 二人の心が、言葉を通してひとつになっていくのを感じた。その瞬間、陽翔は自分の中で、何かが変わったような感覚を覚えた。


 最初の不安が、今はもう完全に消えていた。



 舞台が終わった後、二人は舞台裏で一息つきながら、心からの笑顔を交わしていた。


「やったね、すごくよかったよ!」


 由愛が嬉しそうに言うと、陽翔も満足げに微笑んだ。


「うん、思ったより緊張しなかった。……由愛がいてくれてよかったよ」


 由愛は照れくさそうに首をかしげながら、「そんなことないよ、私も陽翔くんの声に助けられたよ」と答えた。


 キャンパスの夜空には、星が輝き始めていた。


 二人は静かに歩きながら、その星を見上げた。そして、今までの不安やすれ違いが、すこしずつ溶けていく感覚を覚えた。


「これからも、一緒にやっていこうな」


 陽翔の言葉に、由愛は微笑みながら、うなずいた。


「うん、もちろん」


 秋の夜風が二人を包み込み、ふたりの間にまた、新たな一歩が踏み出された。



 朗読劇を終えてしばらくのち、陽翔と由愛は人の波を避けるように、キャンパスの奥まった小道を歩いていた。


 夕暮れの空は茜色に染まり、木々の影が長く伸びる。遠くからはサークル模擬店の明かりと音楽がにぎやかに聞こえるが、この道は静かだった。木漏れ日の代わりに、ところどころに吊るされた小さなランタンが、優しく足元を照らしている。


「ねえ、ここ……春にも通ったよね。新歓のあと、一緒に歩いた」


 ふいに由愛が言った。口調は穏やかだったが、その声の奥には、あの春から今日までの時間が、確かに積み重ねられてきた重みがあった。


 陽翔は頷きながら、少し先のベンチを指さす。


「……座る?」


 由愛は笑って、「うん」と返した。


 ベンチは広場の端、小さな池を望む位置にあった。水面には、祭りの灯りがちらちらと反射していて、まるで夜空が地上に映ったかのようだった。風が吹くと、かすかに金木犀の香りが漂ってくる。


 陽翔は、深く息を吸い込んでから静かに言った。


「……今日は、ありがとう。お前が隣にいてくれたから、最後までやれたと思う」


 由愛は何かを言いかけたが、ふっと笑っただけだった。そして、目を伏せたまま、そっと言った。


「……私ね、陽翔くんの原稿、読んでから、すごく考えたの」


「うん」


「気づいてたよね。最近、少しだけ、わたしたち……距離、できてた」


 陽翔は頷いた。否定しようとすればできた。でも、それはきっと、今の由愛が欲しい答えじゃない。


「うん。でも、それって――俺のほうこそ、ちゃんと向き合ってなかったんだと思う」


「違うよ、私も。……なんかね、陽翔くんの気持ち、知ってるつもりになってたの」


 由愛の声は、ほんの少し震えていた。夕闇の中で、彼女の横顔が柔らかく光に照らされている。小さな手が、ぎこちなく陽翔の袖をつまんでいた。


「だから、あの原稿読んで……嬉しかったんだ。言葉にしてくれて、ありがとうって思った」


 陽翔は、そっとその手を取った。重ねた手の温かさが、じんわりと胸に沁みていく。


「俺も、ちゃんと伝えるよ。これからは。言葉で、ちゃんと」


 由愛はゆっくりと顔を上げ、陽翔の目を見た。


「じゃあ、今日のことも……思い出になるといいな」


「なるよ。きっと、忘れられない日になる」


 ふたりはもう一度、池の方を見た。風が水面をわずかに揺らし、映った灯りがにじんで揺れる。


 どこかから打ち上げ花火の音が聞こえ、夜空にひとつ、白い花が咲いた。 


 その光の下で、ふたりは言葉を交わさずにただ静かに、同じ空を見上げていた。隣にいる、そのことだけで十分だった。

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