青嶺大学編・第46話 近付く距離と手のぬくもり
青嶺大学編・第46話 近付く距離と手のぬくもり
10月上旬。秋風が吹きはじめ、金木犀の香りが通学路にやさしく漂う頃。青嶺大学のキャンパスは、青嶺祭に向けて、いつもより少しだけざわめきが増していた。
芝生広場の周辺には仮設テントが立ち始め、講義の合間にも学生たちの打ち合わせや試作の声が響く。
「ことのは文庫」のサークル部室も、今日はにぎやかだった。
「朗読劇、やっぱり『星を売る少年』にしようって久住先輩が言ってた。陽翔くん、脚本の加筆、お願いできる?」
柚木理紗がノートを手に、陽翔のもとへ歩み寄る。彼女の声は明るいが、どこか人の心のひだに触れるような柔らかさがある。
「うん、大丈夫。……ちょっと書きたい場面があるんだ」
陽翔は、そう答えながらも一瞬、由愛のほうに視線をやった。
彼女は部屋の隅で、配布用冊子のデザインに取り組んでいたが、ふと顔を上げて、軽く微笑んだ。
“わたし、もう気にしてないよ”――そんな優しい視線だった。
2人の距離は、まだ完全に元通りではない。けれど、お互いに「戻ろう」としている、その気持ちがきちんと伝わっている日々だった。
10月中旬。クローバー活動日。
この日は、小学校での特別授業企画の事前打ち合わせ。
市内の小学校に赴き、現地の先生方と顔を合わせながら進められる企画内容に、陽翔も由愛も自然と表情が引き締まっていた。
「“言葉で伝える”ってテーマ、いいと思う。紙芝居形式で、言葉と表情がどうつながるか、子どもたちに体験してもらえるのもいいし……」
「ね、それ、私も考えてた。陽翔くんの文章、子ども向けに読み聞かせる形にできるんじゃないかなって」
由愛の言葉に、陽翔は少しだけ目を見開いた。
「俺の……?」
「うん。あの特別号の原稿。すごく、まっすぐで、伝えたいことがあったから。子どもにも届くと思う。……わたし、あの文章、好きだよ」
言葉の端に、照れたような気配がにじんでいた。
陽翔は、頷く代わりに小さく息を吸い、ふっと吐き出すように返した。
「ありがとう。……じゃあ、子ども向けの朗読用に、少し直してみる」
その時、近くで話を聞いていた中原先輩が、にやりと微笑んだ。
「お、いいねぇ。じゃあ、読み聞かせチームは陽翔と由愛に任せちゃおうかな。ふたりの掛け合い、子どもたちにウケそうだし?」
からかうような調子に、由愛がむっとしつつも、すぐに笑って首をすくめた。
「練習……しっかりしておきますね」
陽翔も少しだけ顔を赤くしながら、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
夕方、学内ホール前のベンチ。
報告会のチラシを配り終えたあと、ふたりはまた並んで座っていた。
夕焼けが池の水面を赤く染め、遠くで鳥の声が響く。
由愛がふと、ぽつりと言った。
「最近……陽翔くんが、ちゃんと笑ってるの、見れてうれしい」
「……俺も、ようやくちゃんと、まわりが見えてきたのかも。由愛が、最初からそばにいてくれたのに、気づくの遅くてごめん」
「もういいよ。……わたしも、ちゃんと向き合うから」
その言葉に、陽翔は少し迷ったあと、そっと由愛の手に触れた。今度は、彼女も自然に握り返す。
秋風がふたりのあいだをすり抜けていく。
これから青嶺祭、子どもたちとの交流、そして先輩たちの実習を見ていく中で、また新たな“未来”が見えてくるだろう。
けれど今は、この静かな夕暮れに、ふたりの手のぬくもりだけが、確かにそこにあった。




