青嶺大学編・第39話 交差する視線、触れられない想い
青嶺大学編・第39話 交差する視線、触れられない想い
八月最終週。
蝉の声も心なしか弱くなり始めた頃、青嶺大学の夏を締めくくる恒例のイベント──「学園通り夏祭り」が迫っていた。
文芸サークルでは模擬店として、自作の短編小説とイラストを組み合わせた「物語小冊子」の販売と展示を行うことになっていた。
準備期間の部室は、まるで印刷所のように慌ただしい空気に包まれていた。
その日も、陽翔は早めに来て印刷された冊子のチェックを進めていた。ホチキスの音がリズムよく響く中、ふとドアが開く。
「……お疲れ、陽翔くん」
由愛だった。
部屋の奥に目をやると、佐倉悠真の姿もある。どうやらクローバーと文芸の“協力企画”の打ち合わせで一緒に来たらしい。
「やっぱり、ここのフォントもうちょっと読みやすくした方がいいかも」
「うん、それと表紙の色味、少し暗い印象かも……」
由愛と佐倉が、陽翔の知らない文芸サークルの一部に自然と馴染んでいる。その光景に、陽翔の手元がふと止まった。
(……また、ふたりで話してる)
別に悪いことじゃない。由愛が佐倉と協力してるのも、ちゃんと意味がある。
でも、胸の奥に刺さるような感覚が、また、じわじわと広がっていく。
「これ……印刷、手伝おうか?」
由愛が声をかけてくれる。柔らかな笑顔。
でも、その視線の奥にある感情が、どこか遠いもののように感じてしまった。
「……ううん、大丈夫。もうすぐ終わるから」
そう返した陽翔の声は、自分でも少し冷たく響いたように思った。
由愛は少しだけ目を伏せて、何も言わずにその場を離れた。
──それを、佐倉がさりげなく見ていた。
夏祭り当日。
学園通りには無数の提灯が灯され、浴衣姿の学生たちが行き交っていた。
文芸サークルのテントも賑わいを見せていたが、その中心に由愛と佐倉の姿が並ぶのを、陽翔は遠巻きに見つめていた。
「この話、すごく刺さったって子どもが言ってたよ。由愛ちゃんの作品」
「……うん。あれは陽翔くんの影響もあって書けたの。子どもと向き合うことって、すごく難しいって気づいたから……」
陽翔は、その会話を遠くに聞いたような気がした。
自分の名前が、まるで“別の場所”で語られているような不思議な距離感。
彼女の視線の先に、自分はいない。
ただ、誰かと“同じ温度”で何かを語り合っている彼女の姿が、どうしようもなく胸に刺さる。
「……由愛、ちょっといい?」
思わず声をかけた陽翔の言葉に、由愛は一瞬だけ戸惑いを見せた。
「ごめん、いまちょっと……展示の説明があって……後ででもいい?」
──その言葉に、何かが崩れた。
陽翔は、わかっていた。彼女が自分を避けてるわけじゃないことも。
でも、“自分の知らない時間”の中で育った会話や、視線の温度が、確実にそこにある。
何も言えずに立ち尽くした彼の背中に、祭囃子が静かに響いていた。
(……どうして、俺は……)
言葉にできない感情が、胸の奥で形にならずに沈んでいく。
それはまだ、「嫉妬」や「不安」なんて明確な名前ではなかったけれど、確かに“すれ違い”の予感として、二人の間に影を落としていた。