青嶺大学編・第37話 文芸サークル、夏の創作と揺らぎの気配
青嶺大学編・第37話 文芸サークル、夏の創作と揺らぎの気配
8月初旬。夏休みとはいえ、文芸サークルの活動は静かに熱を帯びていた。
学生会館の和室に敷かれたローテーブルを囲んで、数人のサークルメンバーが集まっていた。扇風機の風が、窓のカーテンを揺らす。うちわでパタパタと扇ぎながら、各々がノートパソコンや原稿用紙に向かっている。
「……ってことで、“青嶺短編文学賞”の応募締切は8月20日。あと二週間くらいだけど、出す人は早めに草稿見せてね」
久住 彩音の声に、数人が「はーい」と応じる中、陽翔も手元のメモに視線を落とす。
陽翔は、文学賞への応募を決めていた。テーマは「喪失と再生」——教育実習での失敗と、そこから立ち上がる過程を、フィクションに昇華しようとしていた。
けれど──
「……なんか、筆が止まるんだよな」
小声でつぶやいた陽翔に、隣に座っていた柚木理紗が覗き込む。
「ねえ、それプロット? 見せてくれない?」
「……え、あ、まあ、いいけど……」
渋々手渡したノートを、柚木は真剣な目で読み始めた。少しして、顔を上げる。
「うん。ね、これさ、もっと“語り手の気持ち”がにじむように描いたら良くなると思う。“立ち直り”が早すぎて、ちょっと読者が置いてけぼりになるかも」
言葉は優しいのに、指摘は的確だった。
「……たしかに」
陽翔は、苦笑しながらも素直に頷いた。その顔には、久々の創作的な高揚が宿っていた。
「じゃあさ、今度、一緒に作品の読み合わせしない? 私もちょっと応募考えてて」
「え、理紗も?」
「うん。どうせなら、お互い磨いて出そうよ。“本気の夏”って感じでさ」
屈託のない笑顔に、陽翔もつられるように笑った。
数日後。サークルの執筆会後、陽翔と柚木は学生会館近くの喫茶店で原稿を見せ合っていた。
その光景を、偶然店の外から目にした由愛は、ふと足を止める。
陽翔が笑っていた。柚木と並んで、同じノートを覗き込みながら、楽しそうに。
(……創作の話、最近してなかったな)
文芸サークルにいるとはいえ、由愛は教育学部としての活動に時間を取られていて、執筆にはそこまで熱心ではなかった。クローバーのボランティアでの経験や、心理学寄りの勉強が多くなり、文章に向き合う時間も減っていた。
(柚木さんと、あんなふうに話せてるんだ)
小さな違和感が、胸の奥に静かに沈んでいく。
夜、寮の自室。原稿用紙を前に、ペンが止まる。
由愛はふと、スマホを手に取る。連絡先リストから陽翔の名前を選びかけて──けれど、その指は途中で止まる。
(……別に、今すぐ話すほどのことでもないよね)
そう言い聞かせるように、スマホを伏せた。
代わりに開いたのは、クローバーの連絡グループ。心理学部の佐倉悠真が、最近読んだ教育関連の本を紹介していた。
《あのとき、話した“子どもとの距離感”の話、すごくわかりやすかったです。ありがとうございます》
何気なく送ったメッセージに、悠真からすぐに返信が来る。
《由愛さんの感覚が鋭いからだよ。また話そう。俺も、気づかされること多かったから》
スマホの光が、部屋の静けさの中でぼんやりと滲んでいた。
“創作”をめぐる時間の中で
“共有”する相手が、少しずつズレていく
それはまだ、言葉にできないほどの違和感。
けれど、確かにふたりの間に流れ始めていた。




