青嶺大学編・第34話 心のざわめき
青嶺大学編・第34話 心のざわめき
——8月上旬・大学キャンパス、学生ラウンジ
夏休みとはいえ、課題や補講、ボランティアの打ち合わせなどで大学にはちらほら学生の姿がある。
由愛は、図書館での資料探しの帰りに、ふと学内の学生ラウンジに立ち寄った。ソファに座って水を飲んでいると、声をかけられる。
「橘さん。久しぶりだね。子どもキャンプ、お疲れさま」
振り返ると、落ち着いたグレーのTシャツに黒縁メガネをかけた佐倉悠真がいた。
「佐倉くん……おつかれさま。こっちこそありがとう、色々助けてもらって」
「いやいや、こっちこそ、すごく頼りになった。子どもたち、由愛ちゃんにベッタリだったし」
「ふふ……名前で呼ばれるの、久しぶりかも」
「ごめん、自然に出ちゃった。まずかった?」
「……ううん、ちょっとだけびっくりしただけ。大丈夫だよ」
少し笑い合ってから、ふたりはテーブルに向かい合って座った。
「そういえば、進路……考えてる?」
唐突な問いかけだったが、それがなぜか、今の由愛にはすっと入ってきた。
「実は、最近少し迷ってて。教育の道って、素敵だと思うけど……子どもと接する中で、“先生”じゃない関わり方もあるんじゃないかって、思い始めてるの」
「たとえば、心理士とか、保育士とか?」
「うん。……佐倉くんは、どうして心理学部選んだの?」
佐倉は一瞬視線を落とし、そして穏やかな声で言った。
「俺、小学校のとき不登校だったんだよ。周りに理解されなくてさ。でも、あるときスクールカウンセラーの先生が、ずっと話を聞いてくれて……。それで、救われたんだ」
「……そっか」
「誰かの“わかってくれる人”になりたい。そう思って、今ここにいる。
だから由愛ちゃんの話も、すごく分かるよ。“先生”って肩書きじゃなくても、子どもに寄り添えるって、俺も思ってる」
その言葉に、由愛の胸がじんわりと熱くなった。
(……陽翔くんには、こんな風に話せないかも)
そんなつもりじゃなかった。けれど、気づかないうちに、話せないことが増えていた。
言葉にする前に「迷惑かな」とか「分かってもらえないかも」って考えてしまう自分がいた。
その頃、陽翔は文芸サークルの合宿準備に追われていた。
山の民宿との調整、参加者の取りまとめ、当日のスケジュール確認……。
連絡が多すぎて、スマホの通知はひっきりなし。
ふと由愛からのLINEを開くと、前よりも会話が短く、返信の間も長くなっていることに気づいた。
(……何か話したいことがあったんじゃないか? でも、俺が忙しくしてたから……)
小さな不安が胸の奥で疼く。
けれど、それを上手く言葉にできないまま、彼はただタスクをこなしていくしかなかった。
数日後・大学構内、夏の午後。
偶然、陽翔はラウンジの前を通りかかったとき、ガラス越しに見えた。
——ソファに並んで座る、由愛と佐倉。
笑い合いながら、何か話している。
(……何話してるんだろう。あんな顔、最近の俺には向けてなかった気がする)
胸の中で、静かに何かがざわめいた。




