青嶺大学編・第29話 夏のはじまり、ふたりだけの朝
青嶺大学編・第29話 夏のはじまり、ふたりだけの朝
前期末試験が終わった翌朝。
いつもの通学時間より、少し遅く家を出た陽翔は、駅前のベンチで待っていた。
まぶしい陽射し、蒸し暑さはあるものの、どこか心が軽い。
試験という名の“壁”を乗り越えた解放感と、これから始まる夏の予感。
そんななか、陽翔の前に現れたのは――
「お待たせ、陽翔くん!」
ゆるくまとめた髪に、夏らしい淡いワンピース。
大きなつばの帽子を押さえながら、小さく息を弾ませて由愛が笑った。
「……うわ。なんか、夏っぽいな」
「え? なにそれ、ふつうの服だけど」
「いや、かわいいってこと」
陽翔のストレートな言葉に、由愛の頬がほんのり赤く染まる。
「……そういうの、急に言わないでよ。今日はちゃんと、おしゃれしてきたのに」
「だから言ったんだけどな」
ふたりは少し照れくさく笑い合いながら、駅の改札をくぐった。
向かった先は、隣町の海沿いにある小さなカフェと、美術館のあるエリア。
騒がしすぎず、静かすぎず――ふたりきりで過ごすには、ちょうどいい距離感。
カフェでは、テラス席でアイスコーヒーと手作りのタルトをシェアしながら、他愛もない話に花が咲いた。
「ねえ、今度の合同プレゼンって、由愛はどのテーマ選んだの?」
「“絵本を通じた心の育ち”ってやつ。あの施設での体験、ずっと頭に残ってて……」
「それ、絶対向いてるよ。話聞いてるだけで、由愛のやさしさ伝わってくる」
そう言って陽翔が笑うと、由愛は少し恥ずかしそうに俯いた。
「陽翔くんは?」
「俺は“学びの場における安心感づくり”。……たぶん、教師って、勉強教えるより先に“安心できる空気”作るのが大事かなって思って」
「……うん、わかる。それ、すごく大事なことだよね」
カップに残る氷がカランと音を立てた。
夏の陽射しは少しずつ傾きはじめ、潮の香りを含んだ風がカフェのテラスを通り抜けた。
夕方、海の近くの小さな遊歩道。
ふたりは並んで歩きながら、さっきまでの会話を振り返っていた。
「ねえ、陽翔くん。今日のデート……ちゃんと“ごほうび”になった?」
「うん、もちろん。……でも」
「でも?」
「“ごほうび”っていうより、なんか、“これからまたがんばろう”って思えた日って感じ」
由愛は足を止めて、くるりと陽翔の方を向く。
「……それって、ふたりでいるから、でしょ?」
「そうかも。そうだな」
照れくさくも、確かな気持ち。
静かに海鳴りが響くなか、ふたりはそっと指先を絡め合う。
明日からは、合同プレゼンやサークルの合宿、そして本格的な夏休みが始まる。
でも今日は、特別な“ふたりだけの夏の始まり”。
陽翔と由愛は、その瞬間を胸に刻むように、海の夕焼けを見つめていた。




