青嶺大学編・第28話 静かな戦い
青嶺大学編・第28話 静かな戦い
7月第2週。
青嶺大学に、いよいよ“試験期間”の空気が満ちてきた。
普段は穏やかなキャンパスの空気が、どこかピリッと張り詰めている。
学内の至るところで、参考書を広げる学生の姿が目についた。
図書館も自習室も、空席を探すのが難しいほどだ。
──もちろん、陽翔と由愛も例外ではなかった。
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「……これ、全部出るの?」
昼休み、図書館の閲覧室。
由愛はプリントの束を手に、机にうつ伏せ気味になっていた。
「全部……って書いてあるけど、“全部”は出ないって信じたいよな」
陽翔が苦笑いしながらもノートをめくる。
ふたりの机の上には、付箋と蛍光ペンで埋め尽くされた教科書が山のように積まれていた。
「寝てないの?」
「寝たよ……三時間だけど」
「それ、寝てないっていうんだよ」
そう言ってペンを置いた陽翔が、由愛の頭をそっと指先でつついた。
「もうちょっと肩の力抜こう。由愛、頑張りすぎ」
由愛は目を細めて、ゆっくりと顔を上げた。
「……陽翔くん、なんでそんな余裕そうなの?」
「余裕なんかないよ。俺もいっぱいいっぱい。でも、たぶん“追い詰められてる顔”って、伝染するからさ」
「……あ。たしかに」
ふっと、由愛の唇に力の抜けた笑みが戻る。
その笑顔を見て、陽翔も小さく息をついた。
「終わったら、ちゃんとごほうび考えてるから」
「ごほうび?」
「うん。ちゃんとしたやつ」
何気ない言葉だけど、それがなんだか心強くて。
由愛の胸の奥に、小さな“光”がともった気がした。
試験当日。
ペンを走らせる音、めくられるプリント、時計の針の音だけが支配する教室。
(これで、ひと区切り……)
由愛は最後の問題に解答を書き込みながら、息をひそめるように思った。
それぞれの教科で出来不出来はあったけれど、全力は出せた。
そんな気がしていた。
終鈴が鳴り、答案を提出した瞬間、緊張の糸がふっと緩む。
廊下に出ると、外には強い日差し。まるで「夏が来たよ」と告げるかのように、蝉の声が響いていた。
「おつかれ、由愛」
試験が終わった日の夕方。
陽翔は正門前で待っていた。由愛と一緒に、図書館から歩いてきたはずの友人たちは、どこかのタイミングで離れたらしい。
「……今日、いつもより格好つけてる」
「だって、今日でひと区切りでしょ。だから、ちゃんとデートのつもりできたんだよ」
由愛の目が、ぱちぱちと瞬く。
「え、いまから?」
「うん。っていっても、がっつり遊びじゃないけど。ちょっとだけ、静かなところ行こう」
陽翔はそう言って、由愛の手をそっと取った。
その日ふたりが訪れたのは、大学から少し離れた静かな丘の上の公園だった。
展望台からは、夏の夕空ににじむ街の光と、遠くに海が見えた。
ベンチに並んで座り、ペットボトルのお茶を分け合う。
「ねえ、陽翔くん。…ありがとうね」
「なにが?」
「なんとなく、この一ヶ月くらい、私…いっぱいいっぱいで。でも、陽翔くんがそばにいてくれて、支えてくれてたの、ちゃんと伝わってたよ」
陽翔は少しだけ恥ずかしそうに目をそらした。
「俺も似たようなもんだよ。ひとりだったら、もっとぐだぐだだったと思う」
そっと風が吹き、由愛の髪を揺らす。
「次は、夏休みだね」
「うん。……今度こそ、ゆっくりどこか行こう。朝から、ちゃんとデートで」
「……約束」
ふたりはその日、沈む夕日に誓うように、小指を重ねた。
“戦い”のあとの静かな時間。
焦りと迷いをくぐり抜けたふたりの距離は、ひとつ、確かに近づいていた。




