青嶺大学編・第26話【佐倉 悠真(さくら・ゆうま)の視点 静かな揺れ】
青嶺大学編・第26話【佐倉 悠真の視点 静かな揺れ】
クローバーの施設の中庭は、梅雨入り前の貴重な晴れ間に照らされて、明るかった。
子どもたちの笑い声が、風に乗って聞こえてくる。
穏やかな午後。だけど、心のどこかが、静かに波打っていた。
「うん、それでね、キリンさんは、やさしくて――」
由愛さんの声は柔らかくて、でも芯がある。
ひとりの女の子の横にしゃがんで、絵本のページをゆっくりめくる姿は、どこか丁寧な祈りのようだった。
――なんでだろう。
初対面なのに、こんなにも自然に空間を共有できるのは。
「折り紙、ハートにしてみようか? ピンクが好きだったよね」
そばで手を添えると、彼女はぱっと顔を上げて、笑った。
「あ、ありがとう。助かる」
……その笑顔が、ほんの一瞬、胸を掠めた。
今まで、色んな人と関わってきたけど――
こんなふうに、人の感情に触れるような“透明感”を持ってる人には、そうそう出会わない。
子どもたちに目を向けている彼女の横顔を、何気ないふりをして、ふと見つめてしまう。
視線を逸らそうとしたとき、少し離れた場所に――いた。
男の子。
たぶん、同じ大学の……名前は確か、藤崎 陽翔くんだったか。
彼の目が、こちらに向いていた。
いや、正確には、由愛さんを。
(……なるほど)
その視線に、感情があった。
言葉じゃないけど、伝わってくる“何か”が、確かにあった。
それに気づいた瞬間、自分の胸の内にも、かすかに冷たい風が吹いた気がした。
恋人、なのか? あるいは、そういう距離にいる相手――
(だったら、あの笑顔も……彼だけのもの、なのかな)
自分でも気づかないまま、そう思った。
だけど、だからこそ気づけたこともある。
今、目の前にいるこの人は、ただ“優しい”だけじゃない。
真剣に向き合ってる。人にも、現実にも、そして自分自身にも。
それが、すごいと思った。
そういう人を、ちゃんと「素敵だな」って思える自分でいたい。
焦りじゃなく、比べるんじゃなく。
彼女のような人を、尊敬できるってこと。
それが、たぶん──最初の感情なんだと思う。
「……由愛さん」
「ん?」
「ありがとう。今日は、ペアで一緒に動けてよかったよ。きっと子どもたちも、また会いたがると思う」
「えへへ、そうかな。悠真くんが優しいから、じゃない?」
「……いや、それはきっと、君の方だ」
由愛は、ちょっと驚いたように笑って、また視線を子どもたちに戻した。
その横顔を見ながら、佐倉 悠真は、ただ静かに思った。
今すぐどうこうじゃなくていい。
でも、こんなふうに、誰かに心が揺れる感覚を、ちゃんと大切にしてみたい――そう、思えたのだった。




