青嶺大学編・第24話 文芸サークル、昼のミーティング
青嶺大学編・第24話 文芸サークル、昼のミーティング
青嶺大学のキャンパスに、早くも夏の匂いが混じり始めたころ。
6月の陽射しはまだ柔らかく、風は心地よい。
昼休み、食堂テラスに並ぶ木陰のベンチでは、学生たちの笑い声とカチャカチャと食器の音が混ざっている。
「じゃあ、合宿地はこの中から選ぶ感じでどうかな?」
文芸サークルの昼のミーティングで、陽翔は資料の束をテーブルに広げた。
合宿係に立候補したのは、ほんの軽い気持ちだった。けれど実際に動き始めると、宿の手配、日程調整、交通手段…思った以上にやることが多い。
「うわ、陽翔くんマジでしっかりしてるね。頼りになる〜!」
隣に座る陽翔と同じ教育学部の一年、柚木 理紗が、にこっと笑いながら陽翔の手元を覗き込んだ。
栗色の髪に、涼しげなピアス。小柄で朗らか、誰とでもすぐ打ち解けるタイプだ。
「あ、ごめん、ちょっと近かった?」
「……いや、別に」
陽翔は苦笑しながらも、どこか気まずそうに視線を逸らす。
そんな様子を、少し離れた席から見つめていたのは、由愛だった。
彼女は食堂の隅のテーブルで、同じ学部の友人たちとサンドイッチをかじっていた。
耳に入ってきたのは、陽翔の笑い声と、隣で楽しそうに話す女の子の声。
(…柚木さん。サークルでも陽翔くんとよく話してるって、前も聞いた気がする)
たいしたことじゃない。
そう思おうとするのに、胸の奥に小さな波紋が広がっていく。
数日後。
クローバーの施設でのボランティア体験の日。
由愛は、心理学部の男子学生・佐倉 悠真とペアになっていた。
「こっち、車椅子の子が多いフロアなんだ。気をつけて動こうな」
「うん、ありがとう。よろしくね、佐倉くん」
穏やかな雰囲気の佐倉に、由愛も自然と笑顔を返していた。
一緒に子どもたちと絵本を読んだり、折り紙をしたり。
真剣な顔で子どもに寄り添う由愛の姿を、ふとした瞬間に佐倉が優しく見つめる。
それを、別のグループから見ていた陽翔の胸に、ほんのわずかなざわつきが走った。
(……楽しそうだな)
いつもなら微笑ましく見られるのに。
今日は、少しだけ違っていた。
ボランティアの帰り道。夕焼けに染まるキャンパス。
由愛と陽翔は、並んで歩いていた。
「……今日、佐倉くんと楽しそうだったね」
ぽつりと陽翔がこぼした言葉に、由愛の足がぴたりと止まる。
「え? もしかして、見てたの?」
「うん。……なんか、ちょっと、そっちが楽しそうだったから、さ」
それを聞いた由愛の瞳に、ほんの少し驚きと照れが混ざった光が宿る。
「陽翔くんだって、合宿の打ち合わせで柚木さんといっぱい話してたじゃない。…ちょっと気になったよ、私も」
静かな空気のなかに、少しの苦笑と、ちょっとした安心感が混ざる。
「……そっか。似たような気持ちだったんだな、俺たち」
「うん。なんかさ、別に束縛したいわけじゃないけど……“好き”って、ちょっと不安にもなるんだね」
そんな本音を交わしながら、ふたりは自然と手をつないだ。
夜風が少し冷たくなってきたけど、それよりも心の距離が近づいた気がして、どちらからともなく笑い合う。
“すれ違い”は、恋の不安を教えてくれる。
でも、“すれ違い”を越えたときの“手をつなぐ温度”が、きっとふたりの関係を育てていく。
「……あ、ほら、あそこの空、ちょっとすごくない?」
由愛が指さしたのは、大学の図書館棟の向こう側。
空には朱色と藍色のグラデーションが溶け合って、小さな飛行機雲が一本、まっすぐに伸びていた。
「ほんとだ。なんか、映画みたいな空だな」
「うん……今だけの景色って感じ」
ふたりはしばらく、言葉を交わさずに空を見上げていた。
手は、つないだまま。
夕焼けの下で、それぞれの心のなかにあったちいさな“ざわめき”が、少しずつ、静まっていく。
由愛は、陽翔の指先に軽く力をこめながら、ふと思った。
(わたし、たぶん――)
好きって気持ちを、これからもずっと大切にしていくためには、
ちゃんと不安にも目を向けなきゃいけないんだって。
「ねえ、陽翔くん」
「ん?」
「……また、ちゃんと話そうね。何でもないことでも、ちゃんと。黙っちゃう前に」
陽翔は驚いたように少し目を見開いて、それから、すぐにふわりと笑った。
「うん。俺も、そう思ってた」
ふたりの間にある空気が、ふっと軽くなる。
並んで歩く道。
夜のキャンパスには、街灯がぽつぽつと灯りはじめていて、蛍のような明かりが、足元を照らしていた。
「そういえばさ」
陽翔が不意に言った。
「サークルの合宿、自由参加だけど……由愛、来れそう?」
「うん。たぶん行けると思う。陽翔くんが頑張って準備してるし、ちゃんと見たいし」
「……見たい?」
「うん。頑張ってる陽翔くん、かっこいいから」
からかうでもなく、照れるでもなく。
ただまっすぐにそう言った由愛の横顔に、陽翔の心臓が一瞬、跳ねた。
(ずるいよ、それ)
そんなことを思いながら、でも悪くないなって思った。
夏が近づくこの季節。
季節が変わっていくように、ふたりの関係もまた、少しずつ“次のページ”へ進んでいる。
どこまで行けるかなんて、今はまだわからない。
だけど、それでも一緒に歩いていきたいと思える誰かがいること。
それがどれだけ特別なことか、今なら少しわかる気がした。
風がふたりの髪をそっと揺らしながら、夜のはじまりを告げていた。




