表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あおはる  作者: 米糠
190/250

大学編・第20話 「名前を呼ぶぬくもり」

 大学編・第20話 「名前を呼ぶぬくもり」



 夕方の光が、廊下のガラス窓を茜色に染めていた。

 陽翔は、そっと自分の腕時計を見た。午後五時を少し回った頃。

 日中の活気が落ち着き、子どもたちも一人、また一人と、それぞれの場所で静かな時間を過ごし始めていた。


「お兄ちゃん、ちょっとだけ手、貸してくれる?」


 背後から声をかけられた。振り返ると、由愛が小さな女の子と手をつないで立っていた。

 女の子は、どこか恥ずかしそうに陽翔の顔を見てから、視線を逸らした。


「この子、絵本読みたいって。読んであげられる?」


「もちろん。よかったら、ここで読もうか」


 陽翔は、部屋の隅にあるクッションスペースを指さすと、女の子はうなずいて小さく歩き出した。

 その子の名前は「ゆいな」。まだ年中さんくらいの、細い腕と柔らかい髪の女の子だった。


 クッションの上にちょこんと座ったゆいなは、一冊の絵本を差し出した。

 『しろくまちゃんのほっとけーき』。小さな子どもたちに人気の一冊だ。


「ねえ、名前……なんだっけ?」


 ゆいなが、少しだけ首を傾けながら聞いてくる。


「陽翔って言うんだ。ふじさき はると」


「……はるとおにいちゃん」


 ぎこちなく発音しながらも、どこか嬉しそうな表情。

 たったそれだけの言葉に、陽翔の胸の奥がじんわりと温かくなる。


「じゃあ、ゆいなちゃん。いっしょに読もうか」


 ページをめくるたびに、ゆいなはクスクスと笑い、時には「ここ見て!」と指を差す。

 絵本の色彩が、部屋の空気をやわらかく包み込んでいく。


 (こんな風に、誰かと時間を過ごすだけで、心って少しずつほぐれていくんだな……)


 ふと、隣に目を向けると、ゆいなが陽翔の服の袖をつまんでいた。

 その手は、ほんのりあたたかく、小さな体から伝わる体温が、まるで春の陽だまりのように感じられた。


「……また、読んでくれる?」


「うん。いつでも、読むよ」


 その言葉に、ゆいなの口元がふわっと綻んだ。

 はじめて見せた、無邪気でまっすぐな笑顔だった。


 ——この場所には、まだまだ知らない表情や声がある。

 それを一つずつ受け取っていけたら。

 そんな気持ちが、陽翔の胸の奥でそっと芽吹いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ