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あおはる  作者: 米糠
188/250

大学編・第18話 「子どもたちのまなざし」

大学編・第18話 「子どもたちのまなざし」



 午後三時。

 校門を抜けてきた数人の子どもたちの姿が、庭の向こうから見えてきた。

 ランドセルを背負い、駆け足で門をくぐってくる子もいれば、ゆっくり歩いてくる子もいる。

 風に揺れるシャボン玉のように、軽やかで、でもどこか繊細な空気をまとっていた。


 「おかえりー!」

 玄関の方から、佐伯さんの明るい声が響く。

 それに呼応するように、「たっだいまー!」と返す子どもたちの声が重なる。


 陽翔と由愛は、奥のリビングルームからそっと様子を見ていた。

 まだ紹介されていない、“新しい大人”としての距離感に、どこか踏み出しきれないものがあった。


 「緊張するね……」

 由愛が隣で小さくつぶやく。

 陽翔も頷きながら、内心の高鳴りを押し殺していた。


 ――どんな子たちなんだろう。

 ――ちゃんと関われるだろうか。


 子どもたちは順にランドセルを置き、おやつの時間になるまで、室内で思い思いに過ごしはじめた。


 そのタイミングで、佐伯さんが子どもたちに声をかける。


 「みんな、今日から来てくれるお兄さんとお姉さんを紹介するね~」

 全員の視線が、一斉にこちらを向いた。

 無垢でまっすぐな、でもどこか遠慮がちなまなざしが突き刺さる。


 「青嶺大学の藤崎陽翔くんと、橘由愛さん。二人とも、みんなと遊んだり、お手伝いしたりしてくれるから、よろしくね」


 「よろしく……お願いします」

 陽翔が少し緊張しながら頭を下げると、由愛も続いてぺこりと頭を下げた。


 子どもたちの中から、ぱちぱちと拍手が起きた。

 けれどそれは、誰かが言ったからする拍手で、まだ”心の距離”があるように感じられた。


 小さな女の子が陽翔の方をじっと見つめていた。

 目が合うと、彼女はすぐに視線を逸らしてしまう。


 ――ああ、そうだ。

 信頼って、すぐに得られるものじゃない。


 頭ではわかっていたけれど、その現実を肌で感じると、陽翔の胸の奥に静かな緊張が根を張るようだった。


 「ねえ、お姉ちゃん、ピアノひける?」


 そんな中、ひとりの男の子が由愛に近づき、唐突に声をかけた。

 背は小さめで、目がくりっとしていて、でもその瞳はどこか試すような光を宿していた。


 「えっ……うん、少しだけなら」

 由愛が戸惑いながらも答えると、その子はふっと表情を和らげた。


 「じゃあ、ひいて。ぼく歌いたい」


 由愛が視線を陽翔に送ると、陽翔は小さく頷く。


 「うん、行ってきなよ」


 由愛はそっと立ち上がり、リビングの隅に置かれた古いアップライトピアノの前に座った。

 鍵盤をひとつ鳴らしてみる。少しだけ音がくぐもっているけれど、まだ十分に弾けそうだった。


 そして、彼女が奏ではじめたのは、「にじ」。

 小学校でもよく歌われる、やさしい旋律のあの歌。


 ♪にわのシャベルが いちにちぬれて…♪


 男の子が少しずつ声を乗せはじめると、他の子どもたちもそばに集まり、輪のようになっていった。


 ――ああ、すごいな。

 陽翔はその光景を、ほんの少し離れたところから見つめていた。


 音楽が場の空気を変える。

 ひとつの旋律が、心の壁を少しだけやわらかくしていく。


 由愛の横顔はとても穏やかで、でもほんの少し緊張の色も残っていた。

 きっと彼女も、ひとりひとりとどう関わっていくか、まだ探している最中なのだろう。


 やがて歌が終わると、拍手が起きた。

 さっきの形式的な拍手とは違う、本物の拍手だった。


 「お姉ちゃん、また明日もひいてね!」

 そんな声が飛んできて、由愛は少し驚きながらも、やわらかく笑ってうなずいた。


 その笑顔を見て、陽翔の胸に小さな灯がともった。


 少しずつ、でいい。

 今日よりも、明日。

 距離が縮まっていけば、それでいいんだ。


 陽翔もまた、子どもたちの輪の中へと、一歩足を踏み出した。


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