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あおはる  作者: 米糠
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大学編・第10話 「感情の輪郭」

大学編・第10話 「感情の輪郭」



 キャンパスの空が、少しずつ淡い橙に染まり始めていた。


 講義の余韻と、ほんのりとした告白のあとの気まずさを紛らわせるように、陽翔と由愛は図書館へと歩を進めた。

 並んで歩く足取りは、ぎこちなくも穏やかで、どこか心地よい緊張感が漂っていた。


 「ねえ、陽翔くん」

 由愛が小さく声をかけた。


 「……うん?」


 「いつから、書いてたの? あんなふうに、物語を」


 陽翔は少しだけ立ち止まり、空を見上げる。柔らかな風が前髪を揺らし、木々のざわめきが耳に心地よい。


 「中学の頃かな。はじめは作文とか日記の延長みたいな感じで。……でも、たぶん、誰かに伝えたいって思い始めたのは、高校に入ってからだ」


 由愛はその“誰か”が誰なのか、もう聞かなかった。ただ、陽翔の言葉の響きに、胸の奥があたたかくなるのを感じていた。


 図書館の自動ドアが静かに開くと、静寂と書物の香りがふたりを迎えた。陽翔は冊子が置かれている棚へと向かい、由愛はふと、近くの読書スペースに座っているひとりの女性に目を留めた。


 長い黒髪。淡いグレーのカーディガン。膝の上にひらいた冊子。――そのページには、陽翔の書いた短編があった。


 彼女は目線を上げると、まっすぐに陽翔を見て、静かに声をかけた。


 「陽翔君、あなたが書いたこの文章、よく書けてる」


 少し低めの、でも澄んだ声だった。


 「はい。ありがとうございます」


 女性は微笑み、そっと冊子を閉じた。

 「特に、感情の描写が――いいわね。言葉を選ぶ手つきが、まるで触れるようで。誰かを想う気持ちの“輪郭”を、すごく丁寧になぞってた」


 陽翔は一瞬、言葉を失った。まさか、そんなふうに伝わっていたとは思っていなかったから。


 「“書き続けること”、向いてるわよ。……あなたの文章、もっと読んでみたい」


 由愛はそのやりとりを隣で見つめながら、不思議な気持ちを抱いていた。

 胸の奥に、ほんの少しだけ灯った“焦り”に似た感情。自分の知らない、陽翔の“別の顔”に触れたような――そんな気がした。


 けれどその一方で。

 彼の文章を、自分だけのものではなく、誰かが認めてくれること。

 それがなぜか、少しだけ誇らしくもあった。


 彼女は由愛に気づき、立ち上がって、手を差し出す。


「久住彩音。文芸サークルの、まあ古株ってところかしら」

 

「初めまして。一年の橘由愛です。陽翔君とは高校が一緒で……」


「そう……私は陽翔君とはサークルでね」


 文集を示すように少し動かし……彩音は何かを察したように微笑見ながら2人を見る。


「なるほど……それじゃあね! 陽翔君、期待してるから」


 彩音は、そう言うと去っていった。



 2人が図書館を出た頃には、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。


 キャンパスを包む茜の光が、ふたりの影を長く引き伸ばしている。

 春の空気はまだ少し冷たく、だけどその静けさが、今のふたりにはちょうどよかった。


 大学構内の掲示板近くを通りがかったふたりの耳に、何やら賑やかな声が飛び込んできた。


 「おーい、陽翔ー! 由愛ちゃんもいるじゃん! タイミング良すぎ!」


 そこにいたのは、小宮颯太と中西悠斗。ふたりとも教育ボランティアサークル「クローバー」のメンバーで、少し早めに活動を終えて帰るところだったようだ。


 「なんだよ、カップルで図書館デートか~?」

 「ち、違っ……!」と慌てる由愛の顔が、夕焼けよりも赤く染まる。


 「お前ら、今度の地域こども交流会、来るだろ? 由愛ちゃんは前向きって聞いたぞ?」

 「う、うん……行く予定だよ。陽翔くんも、だよね?」


 問いかけられた陽翔は、一瞬だけ迷ったあと、静かにうなずいた。


 「もちろん。……一緒に、行こう」


 その言葉に、由愛は安心したように微笑む。

 春のキャンパスに、少しずつ新しい物語の予感が広がっていた。





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