169.春を迎える朝に
169.春を迎える朝に
合格の報せを交わしてから、一時間後。
駅前の小さな公園に、陽翔と由愛は自然と足を運んでいた。
春の風が、やわらかに木々の枝を揺らす。まだ完全に咲ききらない桜の蕾が、陽光を浴びて淡くふくらんでいた。
最初に視界に入ったのは、ベンチに座ってこちらに手を振る由愛の姿だった。
淡いベージュのコートに、ピンクのマフラー。春と冬が交差するような服装が、今の季節にぴったりだった。
「……お待たせ」
陽翔が息を弾ませながら駆け寄ると、由愛が小さく笑った。
「ううん。私が早く着きすぎただけだから」
そう言いながらも、その声には抑えきれない喜びがにじんでいた。
ふたりは顔を見合わせ、そして、同時に言った。
「「合格、おめでとう」」
笑い声が重なって、少しだけ涙がにじんだ。
由愛の瞳の奥も、ほんのり潤んでいた。
「ほんとに……一緒に行けるんだね、大学」
「うん。夢みたいだけど、ちゃんと現実なんだよな……」
陽翔がぽつりとつぶやくと、由愛は少しだけ顔を上げて、まっすぐ彼を見つめた。
「ねえ……。あのとき、夏に陽翔くんがインターンに行って、離れてたとき……私、すごく不安だった。でも……今は、なんだか、全部あってよかったって思える」
「うん、俺も」
ふたりは、ベンチに並んで腰を下ろす。
肩が触れる距離。けれど、どこかそれ以上に近く感じるのは、不思議だった。
しばらく無言のまま、早春の空を見上げた。
少しずつ芽吹き始めた木々。遠くで子どもたちの笑い声が響く。
世界は、変わらずに進んでいるけれど──ふたりの心には、新しい季節が確かに訪れていた。
「これから、もっと大変なことがあるかもしれないけど……」
陽翔が口を開く。
「でも、由愛と一緒なら、俺、乗り越えられる気がする」
由愛は、静かにその言葉を受け止めるように頷いた。
「私も。……陽翔くんと一緒なら、ちゃんと前を向ける」
そして、お互いの手が自然と重なった。
ぎゅっと、確かめ合うように。
その温もりが、何よりの答えだった。
しばらく手を繋いだまま、ふたりは無言で春の空を見上げていた。
雲ひとつない青。
だけど、その空の向こうに待っている日々には、期待と同じくらいの不安も詰まっている。
「……大学って、やっぱり高校と全然違うのかな」
由愛がぽつりと呟いた。
「うん。きっと、自分で考えて、自分で動かなきゃいけないことが増えるんだろうな。授業も、自分で選ばなきゃいけないし」
陽翔の答えに、由愛は「そっか……」と小さく頷いた。
「でもさ、楽しみもあるよ。学食とか、新しい友達とか、サークルとか。やってみたいこと、いろいろ出てくるかも」
少しずつ声に明るさが混じっていく。
それは、自分を鼓舞するようでもあり、由愛を安心させたいという思いでもあった。
「……うん、私もね、子どもに関わるボランティアとか、大学にあったらやってみたいなって思ってたの」
「それ、絶対向いてるよ。由愛、面倒見いいし」
「ありがと。……でも、教職課程って大変そうだよね。ちゃんと卒業できるかな……」
由愛は、少しだけ不安げに唇を噛んだ。
陽翔はその横顔を見て、小さく息を吸う。
「俺、……正直、合格できたのが奇跡みたいに思ってる。由愛みたいに、元から優秀ってわけじゃないし、勉強も、要領いい方じゃないから」
「そんなこと……ないよ。だって、陽翔くん、最後まであきらめなかったもん。あの姿、私、ずっと見てた」
その言葉に、陽翔は一瞬言葉を失った。
由愛の言葉には、飾りがない。
まっすぐで、あたたかくて、どこまでも優しい。
「……ありがとう」
陽翔は目を細めて、そっと彼女の頭に手を乗せた。
それだけで、少しだけ未来が近くなった気がした。
風がまた、ふたりの間を通り抜ける。
けれど、もう寒くはなかった。
「一緒に、頑張ろうね」
「うん。一緒に、乗り越えていこう」
手をつないだまま、ふたりは立ち上がる。
新しい生活、新しい出会い、そして新しい自分たち。
不安がないわけじゃない。でもそれ以上に、信じられる人が隣にいる。
花の蕾は、日に日に膨らみ、春の訪れを感じさせる。ふたりの手の中には、さっき近くのパン屋で買ったクロワッサンと小さな紙コップの紅茶。遠くから子どもたちの遊ぶ声が聞こえてきて、穏やかな空気があたりに広がっていた。
「……高校生、終わっちゃったね」
由愛がぽつりと呟いた。
「うん。もう、制服を着ることもないんだなって思うと……ちょっと寂しい」
陽翔も静かに答える。
高校生活の中で積み重ねてきた日々──悩んだことも、笑ったことも、ぶつかったことも、全部が今の自分たちを形作っていた。
「けど、なんか……不思議だよね」
「なにが?」
「最初は、どこの大学行くかもバラバラになっちゃうかもしれないって思ってたのに……。結局、同じ道に向かってるって、なんか、運命って感じしない?」
由愛が少し恥ずかしそうに笑う。
陽翔はその笑顔を見て、ふと目を細めた。
「うん、運命……かもしれないな。だって、いろんな分かれ道があったのに、最後には同じ景色を選んでる」
言葉にするたび、実感が深まっていく。
もうすぐ始まる大学生活。教室も、キャンパスも、通学路も、同じになる。
だけど──
「……ねえ、陽翔くんは、怖くない?」
由愛が、小さな声で聞いた。
陽翔は一瞬、言葉に詰まる。
由愛の目は、まっすぐで、どこか揺れていた。
「うん。正直、怖いよ」
正直な気持ちをそのまま返した。
「まわりはきっと、自分よりずっと頭のいい人たちばっかりだろうし、授業も大変だろうし……。でも、一番怖いのは、そういう毎日に、自分がちゃんとついていけるのかどうか、ってことかな」
それを聞いて、由愛は小さく息を吐く。
「……私も、ちょっとそう思ってた。周りに置いていかれそうで、何かを選び間違えたらって、不安になって」
陽翔は黙って、そっと由愛の手を握った。
柔らかな手のひら。あたたかくて、少しだけ汗ばんでいて、それがとても人間らしくて、愛おしかった。
「でも、こうやって話せる相手がいるってだけで、全然違うよな」
「……うん。私もそう思う」
ふたりは微笑み合う。
新しい世界は、たぶん、きっと簡単じゃない。
でも、それでもふたりなら、大丈夫だと思えた。
午後の陽射しは柔らかく、淡く色づく桜の蕾を照らしている。
その下で、ふたりの影が静かに重なっていた。
高校生編 終了です。
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