167.凛とした朝に
167.凛とした朝に
受験当日の朝。
陽翔は、まだ薄暗い部屋の中で、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
窓の外は、まだ夜が少し残っているような灰色の空。
布団の中の温もりが名残惜しかったが、ゆっくりと体を起こす。
部屋の隅、机の上には、使い込んだ赤本と、シャーペンと消しゴム。
そして──由愛がくれた、小さな栞が挟まれたノート。
「よし……行こう」
ひとりごとのように呟いて、陽翔は制服の襟を正した。
冷たい水で顔を洗うと、体の芯に一本、すっと芯が通るような気がした。
母が静かに用意してくれた朝食は、あたたかい味噌汁と焼き鮭。
「無理して食べなくていいよ」と言われたけど、ひと口、ふた口と、自然と箸が進んだ。
出発の時、玄関で父と母に見送られ、陽翔は深く頭を下げた。
「……行ってきます」
玄関の扉を開けると、冬の朝の空気が、ぴんと肌を刺すようだった。
でも、それがかえって頭を冴えさせてくれるようで、陽翔は駅へと足を踏み出した。
一方その頃──
由愛もまた、同じように家を出ていた。
白いマフラーに顔を埋め、手袋越しにスマホを握りしめていた。
朝早くのホームには、同じように緊張を抱えた受験生たちが並んでいた。
電車が来るまでの数分間が、妙に長く感じる。
そんなとき、ポケットに入れていたスマホが震えた。
【陽翔くんより:今、電車待ってる。由愛も気をつけてな。】
【由愛より:ありがとう。陽翔くんも、絶対大丈夫だよ。頑張ってね。】
ほんの数行のやり取りだけど、心が少しあたたかくなる。
電車のドアが開き、ゆっくりと乗り込む。
席には座らず、立ったまま窓の外を見る。
目を閉じると、これまでのことが次々に浮かんでくる。
放課後に一緒に残って勉強した日々。
ときに不安で涙ぐんだ自分に、陽翔がかけてくれた言葉。
そっと差し出された手のぬくもり。
──一緒に、同じ未来を目指したい。
その気持ちだけは、ずっと変わらなかった。
試験会場に近づくにつれ、ざわざわとした緊張が押し寄せてくる。
でも、由愛は深く息を吸って、吐いた。
「大丈夫。わたしは、ちゃんとここまで来られた」
駅からの道、陽翔もまた別の会場へと向かいながら、まったく同じ言葉を心の中で呟いていた。
そして──
それぞれの試験会場に入る直前、ふたりは偶然、同じ時刻に空を見上げた。
冬の空は澄んでいて、雲ひとつない真っ青なキャンバスのようだった。
きっと、どこかで同じ空を見ている。
それだけで、少しだけ、心が軽くなる。
季節の扉が、静かに開こうとしていた。




