159.揺れる心、夏の匂い
159.揺れる心、夏の匂い
梅雨明けを告げるように、蝉の声が校舎の窓から鳴り響いていた。
期末テストも終わり、教室はどこか開放感に包まれている。そんな中、奏音はいつもより少し早く教室を出て、校舎裏の静かな場所へ向かった。
そこに、伊織はいた。少し照れくさそうな笑みを浮かべながら、麦茶の入ったペットボトルを差し出してくる。
「来ると思ってた」
「……やっぱり?」
ふたりは、何も言わずに隣り合って腰を下ろす。蝉の声が間を埋め、風が髪を優しく揺らした。
「ねぇ、伊織」
「ん?」
「もし私が……どっちも選べなかったら、どうする?」
「……そうだな」
伊織はほんの少しだけ間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「俺たちはずっと幼なじみで、たぶんこれからも、そんなに簡単に切れないと思ってる。でも、気持ちに嘘はつけないし、嘘をついてほしくない」
その声は穏やかで、でもどこか切実だった。
「選べないなら、それでもいい。……だけど、選ぼうとしてくれてるかどうかは、見れば分かる」
その言葉に、奏音はハッと息をのんだ。
選べないままでいることが、誰かを傷つけることになるかもしれない。それでも、伊織の目は優しくて、逃げ道を用意してくれていた。
「……伊織、ありがとう」
「うん」
ふたりの間に静かな風が吹いた。
⸻
一方その頃、陽翔と由愛は商店街に続く小道を歩いていた。夏祭りのポスターがあちこちに貼られていて、子どもたちのはしゃぐ声が遠くから聞こえてくる。
「ねえ陽翔、夏って、いつも何かが変わる気がしない?」
「……そうだな。暑さのせいで、全部がちょっと鮮やかに見えるというか」
「……私たちも、最初の夏がいちばん、いろいろあったよね」
由愛の言葉に、陽翔は自然と笑みを浮かべた。
初めて手をつないだ帰り道、すれ違いと涙、そして乗り越えてきた時間。今ではすっかりお互いの“当たり前”になっていたけれど、改めて振り返ると、全部が愛おしい。
「なあ、今年の夏もさ――」
「うん?」
「また、思い出作ろう」
「……うん。ずっと、忘れたくない夏にしようね」
手を伸ばすと、由愛は迷いなく指を絡めてきた。照れたように微笑みながら、ふたりはまた、歩き出す。
夏が、本格的に始まろうとしていた。




