158.向き合うための一歩
158.向き合うための一歩
放課後の空が、ほんのりと朱に染まり始める頃。
奏音は一人、校舎裏のベンチに座っていた。手には、いつも使っている小さなメモ帳。そこには、誰にも見せていない本心が、走り書きの文字で綴られていた。
――伊織といると、心が軽くなる。あっという間に笑顔になれる。
――蓮司といると、落ち着く。安心できる。自分を見ていてくれる気がする。
(どっちが好きなの?)
自問自答しても、答えは出ない。けれど、逃げてばかりもいられない。橘さんに話したことで、少しだけ気持ちが整理されてきた気がする。
「……奏音」
ふいに聞き覚えのある声がして、顔を上げると、そこには蓮司が立っていた。
「こんなとこにいたんだ。……ちょっと話せる?」
頷くと、蓮司は少しだけ距離を保ったまま、ベンチの端に腰を下ろした。
「この前、伊織と話したんだ」
「……うん」
「俺たち、やっぱりお前のこと、好きなんだって。……でも、伊織も言ってた。『奏音が笑っていられるなら、それが一番』って」
その言葉に、奏音の胸がきゅっと締めつけられる。
「……優しすぎるんだよ、ふたりとも。そんなの、選べなくなるに決まってる」
「それでも、俺は……ちゃんと伝えたくて来た」
蓮司は、静かに息を吸い、奏音のほうを見た。
「奏音が伊織を選んだら、俺はたぶん、すごく落ち込む。でも、それで伊織とお前が幸せなら、きっとどこかで納得できる。……でも、もし迷ってるなら、俺をちゃんと見てほしい」
その真っすぐな視線に、奏音は少しだけ目を潤ませた。
「ありがとう、蓮司……ちゃんと、考える」
「うん。待ってる。……無理はしないで」
蓮司はそれだけ言うと、ベンチを離れて、夕暮れの校舎へと消えていった。
残された奏音は、そっと胸に手を当てる。
(私……本当に、どうしたいんだろう)
その問いに答えるため、もう一度、自分の気持ちと向き合おうと決めた。
⸻
一方、翌日。
陽翔と由愛は、帰り道の坂道を並んで歩いていた。
「奏音ちゃん、少しずつだけど、顔が変わってきたね」と由愛がぽつり。
「うん。ちゃんと自分の気持ちに向き合ってる証拠じゃないかな」
「……なんか、あの姿見てると、自分たちももっと大事にしなきゃって思う」
「何を?」
「……気持ち。言葉。時間。全部」
由愛の真剣な瞳に、陽翔は少し驚いて、それから小さく笑った。
「だいじょぶ。俺はちゃんと、由愛との“今”を大事にしてるよ」
「……そっか。じゃあ、私も……もっと伝えるようにするね」
風に揺れる制服の袖が、ふたりの手をそっと重ね合わせた。




