143.バレンタイン、ふたりの距離
143.バレンタイン、ふたりの距離
二月十四日。放課後の空はまだどこか冬の気配を残していて、吐く息は白い。だけど、校舎のあちこちにただよう甘い香りと、ざわついた空気が、それが特別な日であることを物語っていた。
由愛は、その日も変わらず自分のクラスで授業を終えた。けれど心の中は、午前中からずっと落ち着かないままだった。
(ちゃんと、渡せるかな……)
鞄の奥に忍ばせた小さな箱の感触を、何度も確かめる。
去年もチョコを渡した。でも、あのときとは違う。
もう一年近く、隣にいてくれた彼。たくさん笑って、たくさん悩んで、ちゃんと手を取り合ってきた今だからこそ、渡したいチョコがあった。
放課後。昇降口で靴を履き替えていた陽翔の姿を見つけて、由愛は少しだけ深呼吸してから声をかけた。
「……陽翔くん、ちょっとだけ時間いい?」
「うん、もちろん」
陽翔は優しく笑って、由愛の歩調に合わせて並んで歩き出す。ふたりが向かったのは、校舎裏の小さなベンチがあるスペース。木々に囲まれていて、冬の光がこぼれる静かな場所。
由愛は、手袋を外して鞄からチョコの箱を取り出す。
そして、恥ずかしそうに、でもしっかりと彼を見て言った。
「これ……今年も、作ったの。受け取ってくれる?」
小さな箱は、ピンクと紺のリボンが丁寧に結ばれた、可愛らしくも落ち着いた色合い。彼女の雰囲気そのままのようなラッピングだった。
陽翔は少し驚いたように瞬きをして、それからそっと箱を受け取る。指先でリボンを撫でるように触れて、小さく笑った。
「由愛らしいね。すごく、丁寧に作ったのが伝わってくる」
「……うん。去年よりも、もっとちゃんとしたかったの。味も、見た目も、気持ちも」
言葉が少し震えてしまったのは、寒さのせいだけじゃなかった。
そんな由愛を見て、陽翔は少しだけ箱を持ち直しながら、ゆっくりと言った。
「ありがとう。……すごく嬉しい」
まっすぐなその言葉に、由愛の頬がふっと赤く染まる。
「去年は、ちょっと照れながらだったでしょ。あのときも可愛かったけど……今は、もっと素敵だよ」
「な、なにそれ……!」
由愛は小さく肩をすくめながら、思わず笑ってしまう。照れくさくて、でもどこか誇らしい気持ち。
ふたりは並んで座り、まだ中身を開けようとしない陽翔の横顔を、由愛はそっと見つめた。
「……ねぇ、陽翔くんは、ちゃんと食べてくれる?」
「もちろん。帰ったらすぐに食べるよ。っていうか、本当は今ここで開けたいくらいだけど」
由愛がくすっと笑った。
「それ、ちょっと緊張するから、家でゆっくり食べて?」
「うん、わかった。感想、ちゃんとLINEする」
そう言って交わした約束は、どんな手紙よりもやさしくてあたたかい。
バレンタインの空の下。寒さの中でほんの少しだけ近づいた距離と、交わされた想いが、ふたりの胸に静かに灯っていた。




