142.想いをかたちに
142.想いをかたちに
二月に入った放課後の教室。窓の外にはまだ冬の名残が残り、冷たい風が吹き抜けていたが、校舎の中は少しずつバレンタインの気配に満ち始めていた。
そしてその日の夕方。由愛は自宅のキッチンに立っていた。
エプロン姿で、テーブルいっぱいに並べられた材料を前に、深呼吸をひとつ。ダークチョコレート、生クリーム、バター、ナッツ類、デコレーション用のトッピング——去年よりちょっと奮発した素材ばかりだ。
(よし……いけるはず)
自分を鼓舞するように呟いてから、まずはチョコレートを刻み始める。包丁の音がコトコトと響き、手のひらにじんわりと熱がこもってくる。
「細かく……もっと細かく」
集中しすぎて指を少しだけ切ってしまい、慌てて絆創膏を貼る一幕も。それでも止めずに手を動かし続ける。
刻んだチョコをボウルに入れ、湯煎の準備。湯の温度を確認しながら、じっくりとチョコを溶かしていく。
ところが、思ったより湯が熱すぎたのか、チョコが一部ダマになってしまう。
「あっ、嘘……!」
慌てて火を止め、スプーンで必死にかき混ぜるが、完全にはなめらかに戻らない。額に汗がにじむ。
(こんなことで……どうしよう)
だけど、簡単には諦めない。今年は、ただ渡すだけじゃない。ちゃんと想いを届けたくて、彼に「好きだよ」って、もう一度伝えたくて。
もう一度、一からやり直すことを決めて、深呼吸。
二回目は温度計をしっかり見ながら、焦らずゆっくり湯煎。混ぜる手つきも慎重に、手首を柔らかく動かす。ようやく艶のある、なめらかなチョコレートが完成したとき、ほっと肩の力が抜けた。
「……やっと、うまくいった」
そこからも工程は山のように続く。刻んだナッツのロースト加減、トリュフ型に流し込む分量、冷やすタイミング、そして仕上げのコーティングとデコレーション。
型からうまく外れずに形が崩れてしまったものもあった。絞り袋が破れてチョコがはみ出し、ラッピングがやり直しになったことも。でもその度に、由愛は一度ため息をついてから、もう一度真剣な顔に戻ってやり直した。
最後に、いちばん形よくできたトリュフを、柔らかいピンクの紙に包み、淡い紺色の箱にそっと並べていく。飾りすぎず、でも可愛らしさを忘れないリボンを丁寧に結んで——
「よし……うん、悪くないかも」
その表情には、満足よりも少しの不安と、たくさんの想いが浮かんでいた。
その一粒一粒が、彼女の“ありがとう”と“これからもよろしくね”の詰まった、小さな手紙のようだった。
同じ頃、陽翔は自室で、進路希望の書類と向き合っていた。
ページの端が少し擦れているのは、何度も開き直し、書いては消した証だ。
(まだ決めきれてるわけじゃない。でも……)
彼の視線の先には、小さなメモ帳。そこには、ふとした日に書き留めた言葉や気づきが並んでいた。
「誰かに頼られるのって、少し誇らしい気がした」
「将来、子どもたちと関われる仕事もいいかもしれない」
「由愛に話したら、すごく嬉しそうだった」
将来はまだ遠く、形もはっきりしない。でも、その輪郭を少しずつ掴んでいく中で、そばにいる彼女の存在が、自分を勇気づけてくれていた。
机の引き出しから、陽翔は小さな箱を取り出す。中には、控えめな銀のペンダント。
(今の気持ちを、ちゃんと伝えたい)
ありがとう、そしてこれからも。——彼女に伝えたい言葉は、たくさんある。
冬の終わりの空気が、少しずつ春の匂いを含みはじめた頃。
静かに、けれど確かな想いを胸に、ふたりはそれぞれの「バレンタイン」を迎える準備を進めていた。




