表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あおはる  作者: 米糠
143/250

142.想いをかたちに

 142.想いをかたちに



 二月に入った放課後の教室。窓の外にはまだ冬の名残が残り、冷たい風が吹き抜けていたが、校舎の中は少しずつバレンタインの気配に満ち始めていた。


 そしてその日の夕方。由愛は自宅のキッチンに立っていた。


 エプロン姿で、テーブルいっぱいに並べられた材料を前に、深呼吸をひとつ。ダークチョコレート、生クリーム、バター、ナッツ類、デコレーション用のトッピング——去年よりちょっと奮発した素材ばかりだ。


(よし……いけるはず)


 自分を鼓舞するように呟いてから、まずはチョコレートを刻み始める。包丁の音がコトコトと響き、手のひらにじんわりと熱がこもってくる。


「細かく……もっと細かく」


 集中しすぎて指を少しだけ切ってしまい、慌てて絆創膏を貼る一幕も。それでも止めずに手を動かし続ける。


 刻んだチョコをボウルに入れ、湯煎の準備。湯の温度を確認しながら、じっくりとチョコを溶かしていく。


 ところが、思ったより湯が熱すぎたのか、チョコが一部ダマになってしまう。


「あっ、嘘……!」


 慌てて火を止め、スプーンで必死にかき混ぜるが、完全にはなめらかに戻らない。額に汗がにじむ。


(こんなことで……どうしよう)


 だけど、簡単には諦めない。今年は、ただ渡すだけじゃない。ちゃんと想いを届けたくて、彼に「好きだよ」って、もう一度伝えたくて。


 もう一度、一からやり直すことを決めて、深呼吸。


 二回目は温度計をしっかり見ながら、焦らずゆっくり湯煎。混ぜる手つきも慎重に、手首を柔らかく動かす。ようやく艶のある、なめらかなチョコレートが完成したとき、ほっと肩の力が抜けた。


「……やっと、うまくいった」


 そこからも工程は山のように続く。刻んだナッツのロースト加減、トリュフ型に流し込む分量、冷やすタイミング、そして仕上げのコーティングとデコレーション。


 型からうまく外れずに形が崩れてしまったものもあった。絞り袋が破れてチョコがはみ出し、ラッピングがやり直しになったことも。でもその度に、由愛は一度ため息をついてから、もう一度真剣な顔に戻ってやり直した。


 最後に、いちばん形よくできたトリュフを、柔らかいピンクの紙に包み、淡い紺色の箱にそっと並べていく。飾りすぎず、でも可愛らしさを忘れないリボンを丁寧に結んで——


「よし……うん、悪くないかも」


 その表情には、満足よりも少しの不安と、たくさんの想いが浮かんでいた。


 その一粒一粒が、彼女の“ありがとう”と“これからもよろしくね”の詰まった、小さな手紙のようだった。


 


 同じ頃、陽翔は自室で、進路希望の書類と向き合っていた。


 ページの端が少し擦れているのは、何度も開き直し、書いては消した証だ。


(まだ決めきれてるわけじゃない。でも……)


 彼の視線の先には、小さなメモ帳。そこには、ふとした日に書き留めた言葉や気づきが並んでいた。


「誰かに頼られるのって、少し誇らしい気がした」


「将来、子どもたちと関われる仕事もいいかもしれない」


「由愛に話したら、すごく嬉しそうだった」


 将来はまだ遠く、形もはっきりしない。でも、その輪郭を少しずつ掴んでいく中で、そばにいる彼女の存在が、自分を勇気づけてくれていた。


 机の引き出しから、陽翔は小さな箱を取り出す。中には、控えめな銀のペンダント。


(今の気持ちを、ちゃんと伝えたい)


 ありがとう、そしてこれからも。——彼女に伝えたい言葉は、たくさんある。


 冬の終わりの空気が、少しずつ春の匂いを含みはじめた頃。


 静かに、けれど確かな想いを胸に、ふたりはそれぞれの「バレンタイン」を迎える準備を進めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ