141.凍える空の下で、心が芽吹く
141.凍える空の下で、心が芽吹く
新しい年を迎えた教室には、まだ正月の空気がどこかに残っていた。
三学期の始業式が終わり、久しぶりに再会したクラスメイトたちは、年末年始の出来事を語り合いながら、緩やかに日常へ戻っていく。
陽翔は、自分の席に着くとすぐにカバンから筆箱とノートを取り出した。何気なく窓の外を見ると、まだ白く霞んだ空に冬の陽射しがぼんやりと滲んでいる。
「おはよう、陽翔くん」
由愛の声に振り向くと、彼女がふわりと微笑みながら立っていた。首に巻かれた白いマフラーからは、柔らかな香りがかすかに漂ってくる。
「おはよう。今日も寒いね」
「うん。でも、冬休みに初詣行けたから、気持ちはあったかいかも」
由愛はそう言って、小さく笑った。
冬休み中、ふたりで出かけた初詣。地元の神社で手を合わせながら、陽翔は「来年も、こうして隣にいられますように」と願った。由愛もまた、そっと目を閉じながら「大切な人と、大切な時間を守れますように」と心の中でつぶやいていた。
その時間は、きらきらと凍った空気の中で、あたたかな記憶として心に刻まれていた。
──そして季節は、再び進み始める。
教室に戻った陽翔と由愛は、すぐに日常のリズムに馴染んでいった。
でも、その奥底で、ふたりともなんとなくそわそわとした予感を抱えていた。
それは——バレンタイン。
「……あのね、陽翔くん。今年も、頑張ってみようかなって思ってるの」
昼休み、中庭のベンチで由愛がそっと言った。頬にかかる髪が風に揺れる。
「手作りチョコ、また作ってくれるの? 嬉しいな」
「うん。でも、去年よりちょっとだけ……“想い”が強くなってるから、どうなるかなって」
その言葉に、陽翔はふっと笑みをこぼした。
「俺は楽しみにしてる。味より、気持ちが嬉しいからさ」
「もう……またそういうこと言って……」
由愛は照れながら笑うけれど、その胸の奥ではすでに、何度も何度もレシピ本を読み返している自分がいた。
去年よりもっと気持ちを込めて。今年は、チョコと一緒に“言葉”も添えてみようか。
由愛の中で、そんな小さな決意が膨らみ始めていた。
一月の終わり、季節はまだ冬の真ん中。寒波が続く中、陽翔と由愛はそれぞれ、心に小さな迷いと火種を抱えていた。
昼休み、由愛は教室の隅でノートを開いては、何度も同じページをめくり直していた。
ノートの片隅には、レシピ本から書き写した「生チョコ」のメモ。けれど、ページの中央にはたどたどしい丸文字で——
《陽翔くんが、本当に喜んでくれるチョコって……?》
そんな自問が何度も書き直されていた。
「……やっぱり、手作りって難しい」
小さくため息を漏らすと、隣の席の友人が首を傾げた。
「由愛ちゃん、何のこと?」
「えっ、あ、ううん。なんでもない!」
あたふたと誤魔化しながら、由愛はノートをぱたんと閉じた。
心の中では、昨年のバレンタインを思い出していた。ぎこちない手作りのチョコ、震える手で渡したあの日——でも陽翔は、あたたかく笑って受け取ってくれた。
今年は、もっと“気持ち”を込めたものにしたい。だけど、それがどんな形なら伝わるのか、自信が持てなかった。
一方その頃、別の教室の陽翔もまた、机に向かいながら、手元のプリントとにらめっこしていた。
進路調査表。
空欄の多いその紙に、陽翔はずっと答えを出せずにいた。
「文理選択」「志望校」「将来の目標」——すべての項目に、簡単には埋められない思いがあった。
(本当にやりたいことって、何だろう)
最近は本や資料を読む時間が増えた。将来を考えるようになってから、教育、地域活動、子どもに関わる仕事……そんなキーワードが、なんとなく心に残るようになっていた。
——もし、誰かの未来に関われる仕事があるなら。
そしてふと思う。
(由愛は、どう思うかな)
彼女は自分の夢を、応援してくれるだろうか。何か迷ったとき、背中を押してくれるだろうか。……そうであってほしい。けれど、それを甘えと呼ぶなら、強くならなければ、とも思った。
夕方、下校途中の道。
久しぶりにふたりで歩く並木道は、冷たい風に吹かれながらも、どこか温かかった。
「……最近、何か悩んでる?」
由愛が、ふいに口を開いた。
「え?」
「ううん、なんとなく。……私もね、バレンタインのこと、ずっと悩んでるんだ。去年より、ちゃんと気持ち伝えたいのに、うまくできるか分からなくて」
陽翔は立ち止まり、小さく笑った。
「俺も、似たようなもんだよ。進路のこと、考えれば考えるほど迷って……。でもさ、今、こうして話してるだけで、ちょっと楽になるんだ。不思議だけど」
由愛の頬が赤く染まる。寒さのせいだけじゃない。
「……陽翔くんといると、私もそう。少しだけ、前を向ける気がするの」
ふたりの歩幅がまた自然と揃う。
心の中にある不安や葛藤は、まだすぐには消えない。でも——一緒にいれば、少しずつ、進んでいける気がした。
そして、ふたりの“今”を伝える日——バレンタインが、すぐそこまで近づいていた。




