133.それぞれの準備、それぞれの想い
133.それぞれの準備、それぞれの想い
放課後の音楽室。
由愛の歌声が、夕暮れの窓から差し込む光の中に響いていた。
「——♪……」
歌声は、少しずつ、確実に強くなっていた。
まるで、“自分の声”を探しながら、一歩ずつ進んでいるように。
陽翔は、その様子を廊下の窓越しに見つめていた。
(……やっぱり、すごいな)
最初に由愛の歌を聴いたのは、まだ春だった。
あのときの緊張した表情が、今ではずいぶん遠く感じる。
——彼女は変わった。いや、成長した。
誰かの背中じゃなく、自分の足で立って、歌おうとしている。
そんな彼女の姿を見ていると、陽翔の胸にも少しずつ焦りが芽生えていた。
(俺は……どうなんだろう)
由愛には“歌”がある。
夢中になれるもの、頑張る理由。支えてあげたいと思う理由も、自然と湧いてくる。
でも、自分はどうだろう?
勉強は得意な方だ。でも、進みたい道があるかと言われれば——まだ、何も決まっていない。
「将来、何になりたい?」
数日前、担任の先生にふと聞かれたその言葉が、心の奥に残っていた。
陽翔はふと、ポケットからスマホを取り出し、スケジュールアプリを確認する。
次の週末、模試の予定が入っていた。
(まずは目の前のことを、か……)
そんな風に自分を納得させかけたとき——
「陽翔くん?」
音楽室から出てきた由愛が、小首を傾げながら声をかけてきた。
「あ、ごめん、邪魔するの悪いかなって思って」
「ううん、むしろ来てくれて嬉しい」
由愛はちょっと照れたように笑ってから、ふと真面目な顔になった。
「ねえ、陽翔くんは……進路、決めてる?」
「え?」
いきなりの質問に、陽翔は少し戸惑う。
「……まだ、迷ってる。でも、最近ちょっと考えるようにはなってきた」
「そっか。……私も、歌の道に進みたいって思ってるけど、現実は厳しいって思うこともある」
その言葉に、陽翔はうなずいた。
「でもさ、夢っていうより……“本気でやりたいこと”がある人って、すごいと思う」
「陽翔くんも、きっと見つかるよ。私、そう思う」
静かな音楽室の前で、ふたりはしばらく目を合わせたまま立ち尽くしていた。
夕暮れの光の中、そっと重なった視線は、互いの未来へと向けられていた。