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あおはる  作者: 米糠
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132.揺れる季節、進み出す歩幅

 132.揺れる季節、進み出す歩幅




 夏の終わりが近づき、空には早くも秋の気配が混じり始めていた。

 教室では、次第に文化祭に向けた話題が飛び交うようになっていた。


 二年生になってからはクラスごとに特色を活かした催しを行うのが通例で、今年も生徒会からの提案により「ステージ参加」や「模擬店」の選択制が導入されていた。


 放課後、陽翔のクラスでは企画会議が行われていた。


「やっぱりステージ発表って、やるならインパクトが大事だよね」


「演劇とか? でも人前出るの苦手な人もいるしなぁ」


 陽翔は輪に入りつつも、なんとなく上の空だった。


(……由愛、大丈夫かな)


 音大進学を目指すと決めた彼女。その決意の強さは尊敬するほどだった。でも、それと同時に——心配にもなった。進路も、家族との関係も、どれも簡単じゃない。


 ふと、スマホが震えた。


 《由愛:今日、ちょっとだけ会える?》


 陽翔はすぐに「もちろん」と返し、心の中のもやが少しだけ晴れた気がした。


 ⸻


 その日の夕方、駅前のベンチ。夏の陽が落ちていくなか、由愛が小さく手を振って駆け寄ってきた。


「ごめんね、急に」


「ううん、来てくれてありがとう。……何かあった?」


 由愛は一度、小さく息を吸ってから口を開いた。


「文化祭、やっぱり……ステージ、出ようと思う」


「え?」


「やっぱり……私、今やれることを全部やりたいの。今度の文化祭は、音大に向けての実績にもなるし、何より……もう一度、ちゃんと陽翔くんに歌を届けたい」


 その言葉に、陽翔は胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。


「……うん。すごいと思うよ。俺、絶対に観に行くから。いや、むしろ、一緒にステージ立てるなら……俺も出たいくらい。無理だけど」


 由愛が目を丸くした。


「陽翔くんが……ステージに?」


「うん。気持ちはね。去年は見る側だったけど、今年は、隣で何かできたらって……できることならね」


 由愛は、嬉しそうに微笑んだ。


「指揮とかしてみる? フフ、ちょっと変かな」


「ごめん。無理なこと言った」


「ううん。その気持ち、嬉しいよ。陽翔くんが横にいてくれたら、とっても心強いと思う」


 季節は夏から秋へと移ろいながら、ふたりの距離もまた一歩ずつ縮まっていく。

 でも、文化祭までの時間の中には、努力と葛藤、そして思いがけない波紋も待ち受けていた——。


ーーー


 文化祭まであとひと月。ステージ発表の準備が本格化し、由愛も放課後は音楽室にこもる日が増えていた。


 だが、この日はなぜかピアノの前に座っていても指が進まなかった。


「……全然ダメ」


 ため息と一緒に漏れた弱音。気持ちが、どこか曇っている。


 原因は、昨夜のことだった。


 夕食後、洗い物を終えた由愛がリビングに戻ると、スマホにメッセージが届いていた。


 《文化祭で歌うって聞いた。由愛らしいけど……無理してない?》

 ——姉・真帆からだった。


 普段あまり連絡をよこさない姉からの突然のメッセージ。その一言が、胸に小さな棘を残した。


(また……“無理してる”って、そう見えるのかな)


 由愛は返信をためらった。心配してくれているのは分かる。でも、どこか“信じてもらえていない”ような気もして、言葉が見つからなかった。


 今日、音楽室で指が止まるのも、それが原因だった。


 思えば、何かに挑戦するたび、姉は同じように声をかけてきた。


 ——本当に自分の意思なの?

 ——比べて苦しまない?

 ——向いてないことを選んでない?


 優しい言葉。でも、いつも“限界を決められている”ようで、苦しかった。


 だから今度こそは、誰かの目じゃなく、自分の意思で立ちたかった。


「……私、私の声で、ちゃんと歌いたい」


 小さくつぶやくと、由愛は深呼吸をして、ピアノに向き直った。


 そのとき、教室のドアがノックされた。


「由愛、まだいたのか」


 顔を覗かせたのは陽翔だった。


「うん……ちょっと練習、やり直してた」


 ぎこちない笑みを見せる由愛に、陽翔はそっと歩み寄る。


「なにか、あった?」


 その問いかけに、一瞬迷ったあと、由愛は素直にうなずいた。


「……お姉ちゃんから、メッセージが来たの。歌うことに、また“無理してない?”って」


「……そっか。でも、由愛が歌いたいって決めたんだろ?」


「うん」


「じゃあ、大丈夫。だって俺、知ってるから。由愛が歌う時の顔、一番好きだよ」


 その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。


「ありがとう、陽翔くん……。私、ちゃんと歌うよ。橘真帆の妹じゃなくて、“橘由愛”として」


 陽翔は頷きながら、彼女の手をそっと握った。


 その手の温もりは、言葉よりも強く、由愛の心に灯をともしていた。


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