125.小さな揺れ、小さな確信
125.小さな揺れ、小さな確信
日曜の午後、まだ風の冷たさが残る早春の街を、由愛は姉・真帆と並んで歩いていた。
二人きりで出かけるのは、あれから三度目。最初のぎこちなさは少しずつ溶けてきたはずなのに、由愛の胸の奥には、言葉にならないもやがまだ残っていた。
ランチを終えた帰り道、姉に誘われて入った静かなカフェ。木目調の落ち着いた空間に、ふたりの間の沈黙がじんわりと染み込んでいく。
由愛はカップを両手で包みながら、正面に座る姉をちらりと見た。
──やっぱり、綺麗。
そう思った瞬間、心が少し痛んだ。
成績も、運動も、人付き合いも。すべてを器用にこなす姉は、小さい頃から“理想の娘”だった。周囲の大人たちは「お姉ちゃんみたいにね」と笑って言った。
でも——自分は、そうはなれなかった。
「……どうかした?」
ふいに真帆が問いかける。由愛は少し驚いて目を上げた。
「ううん、なんでもない。ちょっと、ぼーっとしてただけ」
「そっか」
そう言って微笑む姉の表情は優しくて、だけどどこか、寂しげにも見えた。
しばらくの沈黙のあと、真帆がそっと言った。
「ねえ、由愛。……今までちゃんと謝ったこと、なかったよね」
「……え?」
「私さ、小さい頃からずっと“ちゃんとしなきゃ”って思ってたの。親にも、先生にも、あんたにも。……でも、それって勝手だったんだって、最近気づいたの」
由愛は返事ができなかった。
姉の言葉が、自分の胸の奥にある何かと呼応するようで——不思議な感覚がした。
「私ね、ずっと“由愛には私みたいになってほしくない”って思ってた。だけど……そう思ってる時点で、結局、あんたをちゃんと見てなかったんだなって」
真帆の声が、少し震えていた。
「陽翔くんに会って、なんとなく分かったの。由愛は、私が思ってるよりずっとちゃんと考えて、自分の道を歩こうとしてるんだって」
「……お姉ちゃん」
「ごめんね。勝手に比べられて、勝手に期待されて、苦しかったよね」
由愛は俯いたまま、テーブルの端をじっと見つめていた。ふいに胸が熱くなって、何かを押し込めるように唇を噛んだ。
「……ずるいよ。そうやって、いつも先に“大人”になっていくんだもん」
「ふふ、ごめん」
「でもね……」
由愛は顔を上げ、目の前の姉をまっすぐに見つめた。
「私、たぶんもう、大丈夫だよ。昔よりずっと、自分のこと好きになれた。陽翔くんがいてくれるから——だけじゃなくて、自分でちゃんと、変わろうと思ったから」
その言葉に、真帆は目を細め、そっと由愛の手に自分の手を重ねた。
「……頼もしくなったなぁ。ほんとに、いい人と出会ったんだね」
「うん。だから、ちゃんと守っていきたいって思うの。私が私でいられる、この場所を」
⸻
帰り道の電車の中。窓の外には春の陽射しがちらちらと差し込んでいた。
スマホの画面に映る「陽翔」の名前を見て、由愛はそっと微笑む。
「今日、すごく大事な話をしたよ。また話聞いてくれる?」
送信ボタンを押す指先が、少しだけ震えていたのは——それが今の自分の想いのすべてだったから。




