123.ふたりだけの距離、遠くからの視線
123.ふたりだけの距離、遠くからの視線
夕暮れの公園には、穏やかな風が吹いていた。
陽翔と由愛は、ベンチに並んで腰を下ろしていた。近くでは子供たちの笑い声が響き、遠くでは犬を連れた老夫婦がのんびりと歩いている。
けれど、ふたりの世界はその喧騒から少しだけ切り離された、静かな時間に包まれていた。
「……あのね、今日ちゃんと断ったとき、ちょっとだけ心が痛かったの」
由愛が小さく口を開く。
「悠馬くんが、悪い人じゃないってわかってるから。でも、それでも……私は、陽翔くん以外は考えられないって思ったの」
陽翔は何も言わず、彼女の言葉を受け止めていた。
「きっとまた言ってくるかもしれない。でも、そのたびに私はちゃんと伝える。私の心は、もう決まってるから」
彼女の目が、まっすぐ陽翔を見つめる。
陽翔はそっと微笑み、言葉よりも確かな想いを込めて、由愛の手を握った。
「……俺も。ずっと由愛といたい」
その言葉に、由愛の頬がほんのり赤く染まり、小さくうなずいた。
そんなふたりの姿を、少し離れた場所から静かに見つめている人影があった。
茂みの陰、木の後ろ。そこには、悠馬がいた。
彼の表情には、嫉妬や怒りではなく、ただ、静かな哀しみが宿っていた。
(……あんな表情、誰にも見せたことなかったよな)
由愛の笑顔。陽翔のやわらかな目。
自分がどれだけ言葉を尽くしても届かない“距離”が、確かにふたりの間にはある。それを思い知らされた気がした。
悠馬は、何も言わずにその場を離れた。
春の夕暮れは、彼の背をそっと包むようにして染めていった。
──
その日の放課後、校舎裏の小さな階段に腰を下ろし、悠馬は缶ジュースを手にしていた。まだ飲みかけのままの甘いココアは、手の中でぬるくなり始めている。
しばらくの沈黙の後、彼は静かに口を開いた。
「……本気で、惚れてたんだよな。あいつの、あの笑った顔にさ」
目の前には誰もいない。独り言のようでいて、それはどこか、自分自身への問いかけのようでもあった。
「でも、届かないんだよ。あの子の視線の先には、最初からずっと、藤崎がいた。俺の入る余地なんて、どこにもなかったんだな」
苦笑するように言いながら、悠馬はぬるくなったココアを一口飲んだ。
ふと、上を見ると、青く澄んだ春の空が広がっていた。
「……なんか、スッキリしたかもな」
胸の奥に溜まっていたもやもやが、少しだけ解けた気がした。
そのとき、背後から足音が聞こえた。
「ここにいたんだ、悠馬」
声をかけてきたのは、同じクラスの男子――悠馬の昔からの友人だった。
「先生探してたぞ。ホームルーム前に話があるらしい」
「あー……わりぃ、すぐ行くわ」
立ち上がり、空を見上げる。ふぅと息を吐き、悠馬はひとつだけ心の中で言葉をつぶやいた。
(ありがとうな、由愛。好きになれて、よかったよ)
そのまま、彼は教室へと向かって歩き出した。背筋はまっすぐで、もう振り返ることはなかった。
──
同じころ、由愛は陽翔の隣で微笑んでいた。
昼休みにそっと手を繋いでくれた彼の指の温もりが、まだ心の奥に残っている。
「ねぇ、陽翔くん」
「うん?」
「私たちって、ちょっとだけ強くなったよね」
「強く?」
「うん。前よりも、ちゃんと相手を信じられるようになったっていうか……気持ちを言葉にするのって、大事なんだなって思ったの」
陽翔は少し照れたように笑い、彼女の頭を優しく撫でる。
「じゃあ、これからも、いっぱい言葉にしないとな。好きって」
「……もう、ずるい」
そう言いながらも、由愛の頬は柔らかな幸福に染まっていた。




