122.揺さぶられる静けさ
122.揺さぶられる静けさ
それは、ある昼休みのことだった。
陽翔が購買に出かけて戻ってくると、教室の片隅で悠馬と由愛が話している姿が目に入った。
何でもない雑談——のはずが、悠馬の表情には、どこか“含み”があった。
「……橘さんって、本気であの藤崎と付き合ってるの?」
「……なに、急に」
由愛は思わず言葉を詰まらせた。悠馬はその反応を見逃さなかった。
「いや、ごめん。でも正直……あいつが君に釣り合ってるとは思えない。俺の方が、きっと君をもっと大事にできる」
「……」
「こんな言い方、ずるいのはわかってる。でも、俺、本気で好きなんだ。……ずっと前から」
悠馬の目は、真剣だった。
由愛はその視線を避けることなく、しっかりと見返した。
「……ありがとう。でも、私の気持ちは変わらないよ」
そうはっきりと伝えると、悠馬の表情が一瞬だけ苦く歪んだ。
「……そうか。でも、俺は諦めない」
そのまま悠馬は踵を返して教室を出て行く。
由愛は席に戻りながら、どこか胸の奥がざわついている自分に気づいていた。
(……陽翔くんに、言った方がいいのかな)
でも、あのまっすぐで、時に繊細な彼が傷つく姿を思うと、どうしても言葉にできなかった。
一方その頃、陽翔は廊下を歩きながら、由愛の表情をふと思い返していた。
最近、どこか無理に笑っているように見える。
優しい嘘か、それとも何かを隠しているのか——それは、陽翔の心に小さな影を落としていた。
放課後の帰り道。
春の風はまだ少し肌寒くて、由愛は陽翔の隣を歩きながら、袖口を少しだけ握っていた。
「……今日、ちょっと疲れたかも」
「授業?」
「ううん……なんとなく」
陽翔はチラと彼女を見た。笑ってはいるけど、どこかその瞳は曇っている気がする。
それは、最近ずっと感じていたことだった。
ふと、由愛がポケットからスマホを取り出し、通知を確認して小さく息をのむ。
「……誰かから?」
「うん、クラスのグループ。ちょっとした連絡……」
小さく笑ってみせたが、その顔からはどこか落ち着きのない色が滲んでいた。
(……何かある。たぶん、俺には言えないこと)
陽翔は足を止め、由愛の手をそっと取った。
「由愛。最近……何か、ある?」
「え……?」
「無理に言わなくていい。でも……俺に隠してることがあるなら、ちょっと寂しいなって思った」
由愛の目がわずかに揺れる。彼のまっすぐな言葉が、胸に刺さる。
「……ごめん。言うべきなのに、言えなかったの」
「言いたくないなら、それでもいい。でも……」
「……違うの。ただ、私が弱いだけ。ちゃんと話すから」
由愛は、立ち止まったまま俯いた。風に髪が揺れる。
「今日、悠馬くんに……気持ちを伝えられたの」
陽翔の表情が一瞬だけ強張る。
けれど、彼は言葉を飲み込んで、そっと「……それで?」と続きを促した。
「ちゃんと断ったよ。私が好きなのは、陽翔くんだけって。……でも、それでも諦めないって言われて」
俯く彼女の手を、陽翔はそっと握りしめた。
「ありがとう。言ってくれて。……たぶん、俺も弱かった。何となく気づいてたのに、怖くて聞けなかった」
「……私も」
二人の視線が重なる。
そこには不安も、迷いもあったけれど、それ以上に強い“信頼”があった。
「……ね、少し寄り道しない? 久しぶりに、ちょっとだけ話したい気分」
「うん。じゃあ、あの公園でも行こうか」
手を繋いだまま歩き出すふたりの背中には、確かにまた一歩、絆が深まった証がにじんでいた。




