120.新しいクラス、新しい風
120.新しいクラス、新しい風
二年生の新しいクラスにも、少しずつ慣れ始めた四月中旬。
陽翔は相変わらず目立たないタイプだったが、それでも日々の授業やグループワークを通じて、クラスメイトとの距離は少しずつ縮まってきていた。
「藤崎くん、これってこの式で合ってるかな?」
数学の時間、隣の席の男子がノートを見せてくる。以前ならまず話しかけてこなかった相手だ。陽翔は穏やかに頷いて、丁寧に解説を始める。
周囲の評価が変わったきっかけは、春の合唱祭の打ち上げの場だった。自分のことを大げさに語るわけでもなく、ただ人に親切にしていた彼の姿に、自然と「なんかいい奴だよな」と好意的な目が集まるようになっていた。
もっとも、そんな陽翔の一番近くには、変わらず由愛がいる。
昼休み、彼女はふわりと教室に現れて、笑顔で彼の隣に腰を下ろす。
「ね、今日ちょっとだけ、帰りに寄り道しない?」
「うん、いいよ。どこ行く?」
「秘密。ちょっとだけ春っぽいとこ」
微笑みながらそう言う由愛は、やっぱりどこか人目を引く。整った顔立ちに、柔らかな雰囲気。校内でも「橘由愛は学年一の美人」と噂されているのは事実だった。
だからこそ、周囲の誰もが時々不思議そうに陽翔を見る。
(なんで、あの子の隣にあの男子が?)
けれど、その疑問は、二人を少しでも知ればすぐに消える。
自然な会話。心地よい間。目を合わせて笑い合う姿。
見た目やステータスでは測れない、「想いの深さ」が、ふたりの間には確かにあった。
——そして、その関係に、静かに視線を向ける者がいた。
教室の後ろ、窓際で昼食を取っていた水瀬あかねは、二人の様子をちらりと見て、ふと目を伏せた。
(……やっぱり、無理か)
あの春の日、自分の中に芽生えたかすかな好意。
けれど、それが恋だと気づいた時には、もう手遅れだった。
彼らの関係は、静かだけど、しっかりと結ばれていた。
(次に進まなきゃ……だよね)
そう心の中で呟くあかねの表情は、少しだけ寂しげで、それでも前を向こうとするものだった。
夢が去った後、陽翔は、教室の窓際の席に腰かけながら、新しくできた知り合いとの距離感にまだ探りを入れていた。隣の席には、由愛と入れ替わるようにやって来た、明るくて社交的な男子——桐谷悠馬が座っている。
「なあ、藤崎って、由愛ちゃんと付き合ってるって本当?」
突然の質問に、陽翔は思わず手にしていたシャーペンを止めた。
「……え? なんでいきなり」
「いや、気になってたんだよね。俺、同じ中学だったんだけどさ。由愛ちゃんって、昔からめちゃくちゃモテてたんだ。高校入ってからもずっと一人だったみたいだから、チャンスあるかなって思ってたんだけど……」
悠馬の表情は笑顔のままだが、その視線には探るような鋭さがあった。
陽翔は、心の中で静かにため息をついた。
(なるほど、こういうタイプか……)
放課後。
昇降口で靴を履き替えていた陽翔の元へ、ふわりと由愛が現れた。けれど、そのすぐ後ろには、少し距離を空けて悠馬の姿もあった。
「由愛ちゃん、駅まで一緒に帰らない? こっち方面でしょ?」
陽翔の横に立った由愛が、ほんの一瞬、困ったように視線を揺らす。
「ごめん、今日は陽翔くんと一緒だから」
そう答えて、彼女はしっかりと陽翔の腕に手を添えた。
悠馬はそれを見て、口元に苦笑を浮かべた。
「……そっか。残念だな。でも、またどこかで」
そう言い残して、悠馬は手を振りながら去っていく。
並んで歩き出したふたり。
けれど、由愛の手には、少しだけ力がこもっていた。
「……さっきの人、同じクラスの?」
「うん、桐谷悠馬っていう子」
「なんか軽い感じだけど……」
「私、中学のときから知ってるの。ちょっと……苦手なタイプ」
由愛の声がわずかに沈む。
「いつも笑顔なんだけど、その奥で何を考えてるか、わかんないの」
陽翔は、彼女の不安を感じ取って、そっと手を握り返す。
「大丈夫。俺がちゃんと、由愛の隣にいるから」
その言葉に、由愛はふっと微笑み、肩を寄せた。
春の風が、静かに二人の距離を包み込む中、新たな季節の試練が始まろうとしていた——。




