116.気づきの視線
116.気づきの視線
放課後、陽翔は教室の窓際でノートを開いていた。
「藤崎くん、今日も数学やってるの?」
そう声をかけてきたのは、またしても水瀬あかねだった。彼女は自分の席からすっとやってきて、自然な流れで陽翔の隣に腰を下ろす。
「うん、授業のとこちょっと引っかかってて」
「へえ、まじめ〜。私、ノート写させてもらおっかな」
「いや、それじゃ意味ないって」
苦笑しながらも、陽翔はノートを少し傾けて見せてやる。そのやりとりは、周囲から見ればごく自然なものだった。
——だが、そのやりとりを廊下から見つめる視線があった。
A組からの帰り道、偶然通りがかった由愛だった。
ふと目を向けたその先で、陽翔と親しげに話すあかねの姿が目に飛び込んできた。
(……仲、いいんだね)
一瞬、胸の奥がきゅっと痛んだ。
でも、すぐに首を振る。信じてる。陽翔はそんなこと、ちゃんとしてくれるってわかってる。
それでも——やっぱり、ちょっとだけ、不安だった。
⸻
一方、あかねは、ふと陽翔の手元のキーホルダーに目を留めた。
「ん? それ……お揃い?」
「……ああ、うん。彼女と、春に買ったやつ」
「彼女?」
あかねの指が止まり、瞬間、空気がほんの少し変わった。
「……そっか。彼女、いるんだ」
「うん。同じ学校の子で」
「そっか。……藤崎くん、優しいから、なんかちょっと納得かも」
そう言って笑ってみせたが、その笑みにはわずかに影が差していた。
それは、軽く触れたはずの水面が静かに波立ったような、そんな小さな予感だった。
⸻
夕方。陽翔と由愛は合流して、一緒に帰っていた。
「今日、ちょっとだけ見ちゃった」
「……え?」
「水瀬さんと話してるとこ」
陽翔は少し驚いた表情を浮かべ、それから、ふっと息を吐いた。
「ごめん、ちょっと距離近すぎたかも」
「ううん。怒ってるとかじゃないよ。ただ……ちょっとだけ、焼きもち」
由愛は恥ずかしそうに目を伏せながらも、はっきりそう言った。
「……でもね、私も、ちゃんと“陽翔くんの彼女”って顔、していかなきゃなって思った」
陽翔はその言葉に、少し笑って、優しく彼女の手を取った。
「そんな顔しなくても、十分伝わってるよ。俺が好きなの、由愛だけだって」
静かに重なる二人の手。
その温もりだけは、誰にも揺らせない確かなものだった。




