115.すれ違いのはじまり
115.すれ違いのはじまり
始業式の朝、校門の前には、春の風に揺れる桜と、新しいクラスを気にする生徒たちのざわめきが広がっていた。
「おはよう、陽翔くん!」
正門のすぐそば、いつもの場所で待っていた由愛が、笑顔で手を振る。
制服のスカートが少し短くなった気がするのは、春の陽気のせいか、それとも……。
「おはよう、由愛。今日もかわい……って、おっと危ない、クラス表見に行かないと」
「ふふっ、ちゃんと言いかけたよね?」
「聞き逃してくれてもいいのに……」
二人は笑いながらクラス分けの掲示板へ向かう。
(……一緒のクラス、だったらいいけど)
陽翔はそんな期待を胸に、名簿を追った。
——藤崎陽翔、2年B組。
そのすぐ下に、由愛の名前は……なかった。
「私は、2年A組……だったみたい」
「そっか……」
ふと、沈黙が落ちる。
隣にいるのに、たった数文字の違いが、まるで距離を生んでしまうような気がした。
そのとき——。
「あれ? 藤崎くんもB組なんだ!」
軽やかな声とともに現れたのは、一人の女の子。長い黒髪をサイドでまとめた、大人びた雰囲気の美少女だった。
「えっと……」
「ごめん、自己紹介してなかったね。水瀬あかね。中学は違ったけど、よろしくね」
あかねはにこっと笑い、由愛に軽く会釈した。
「こんにちは。……もしかして、彼女さん?」
「えっと、うん……橘由愛、同じ部活……じゃないけど、仲……いい人です」
由愛は少し戸惑いながらも笑顔を作った。
けれど、その笑顔の奥に、わずかな翳りが陽翔には見えた。
(……あかねって子、なんか……キレイで、明るくて……)
それを意識してしまう自分にも、ほんの少し戸惑っていた。
2年生の春、恋人として迎えた新学期は、少しのすれ違いと新しい出会いから始まっていった。
新学期が始まって数日。
陽翔のいる2年B組では、早くも席替えや係決めが行われ、クラスの雰囲気は少しずつまとまりを見せていた。
「ねえ藤崎くん、この間の数学の課題、一緒に見直してくれない?」
昼休み、教室の窓際で陽翔に話しかけてきたのは、またしても水瀬あかねだった。
明るくて人懐っこい彼女は、すぐにクラスの中心的存在になっていたが、なぜかことあるごとに陽翔に話しかけてくる。
「うん、別にいいけど……」
陽翔が答えると、あかねは笑って隣の席にすっと腰を下ろす。
「ありがとう。やっぱり、ちゃんと答え合わせしないと不安でさ」
(悪気はないんだろうけど……こういうの、由愛が見たらどう思うかな)
ちらりと廊下を見ると、ちょうど由愛がA組の教室前を通り過ぎようとしていた。
ふと視線が合った。けれど、彼女はわずかに目をそらし、そのまま歩き去ってしまう。
「……あ」
たったそれだけのことで、陽翔の胸に、小さな棘が刺さる。
⸻
放課後。
校門を出てしばらく歩いたあたりで、由愛とばったり会った。
「……一緒に帰ろっか?」
「うん」
いつもなら、自然と手がつながっていたはずなのに——今日はどちらからも伸びなかった。
会話も、どこかぎこちない。
そんな沈黙に耐えきれず、陽翔は口を開く。
「今日さ、数学の課題でちょっと聞かれてさ。水瀬さんに」
「うん、見たよ。……別に、気にしてないけど」
気にしてない——その言葉は、気にしていると言っているのと同じだった。
「……やっぱり、ちょっと距離あるね、最近」
「ううん。私のほうこそ……ごめん。陽翔くんと一緒のクラスじゃないの、思ったより寂しくて」
由愛はそう言って、小さく笑った。
「でも、ね? そういう時こそ、ちゃんと信じるって、決めたから」
「……うん、俺も」
やっと、二人の手がそっと重なる。
すれ違いは確かに始まっていた。でもまだ、修復不可能なほどじゃない。
これからの選択と行動が、二人の関係を試していく——そんな予感だけが、春風に乗っていた。




