113.春風と姉の影
113.春風と姉の影
春休みのある午後、陽翔と由愛は、駅前のカフェで待ち合わせをしていた。
「……ちょっと緊張してる?」
「え、う、うん。まあ、ちょっとだけ……」
由愛は珍しく落ち着かない様子で、ストローをくるくると回していた。いつもより髪をきれいに整え、少し大人っぽい服を着ている。
今日の予定には——姉、真帆との“偶然じゃない再会”が含まれていた。
「ほんとにいいの? お姉さんと会うなんて」
「うん。あの日……陽翔くんに言ってもらって、少しずつだけど、ちゃんと向き合いたいって思ったの。お姉ちゃんと、家族とも。……それに」
由愛は一瞬だけ視線を落とし、すぐにまっすぐ陽翔を見た。
「私の“今”を知ってもらいたいの。……陽翔くんと一緒にいる私を」
その言葉に、陽翔は胸が少しだけ熱くなるのを感じた。
そこに、ドアベルの音が鳴り、凛とした雰囲気の女性がカフェに入ってきた。
「……久しぶり、由愛」
「お姉ちゃん」
真帆は、大学の春休みで帰省中とのことだった。整った顔立ちと落ち着いた雰囲気は、まさに“完璧なお姉さん”という印象を陽翔に改めて与えた。
「そして……藤崎くん、だったよね?」
「は、はい。お久しぶりです」
「ちゃんと名前、覚えてたよ。妹から、時々聞いてたから」
その言葉に、由愛が小さく肩をすくめた。
「ちょっと、やめてよ……」
「別に悪く言ったわけじゃないよ。……むしろ、変わったなって思って」
「……変わった?」
「うん。中学の頃までの由愛って、どこか縮こまってたから。でも、今の由愛は……ちゃんと自分で考えて、自分の言葉で話してる」
由愛は驚いたように、そして少しだけ照れたように目を伏せた。
真帆は、ゆっくりとカップを口に運びながら続ける。
「私、ずっと“良い姉”でいなきゃって思ってた。でもそのせいで、由愛に重荷を背負わせてたよね。……ごめんね」
「……ううん。私の方こそ……ずっと勝手に比べて、勝手に苦しくなってた。お姉ちゃんのこと、嫌いになりたくなかったのに……遠ざけてた」
「でも、今は?」
その問いに、由愛は静かに微笑んだ。
「……今は、好きだよ。ちゃんと」
陽翔は、黙ってその様子を見守っていた。互いの距離が、少しずつでも確かに縮まっていくのを感じながら。
「それともう一つ、私、伝えたいことがあるの」
由愛は、一呼吸置いて、陽翔の手をそっと取った。
「私ね、今は……この人と一緒にいることで、自分のことが少しだけ好きになれたんだ。前よりもずっと」
真帆はその手元を見て、ふっと優しく微笑んだ。
「……それなら、私も安心して“完璧なお姉ちゃん”から卒業しようかな」
カップを置き、真帆は立ち上がる。
「由愛。たまには連絡ちょうだいね。それと、藤崎くん。妹をよろしく」
「はい。……全力で」
カフェを後にする姉の背中は、どこか晴れやかだった。
由愛は、陽翔に寄り添いながら、そっと呟いた。
「……これで、やっと少しずつ、前に進めるかも」
「うん。一緒に、ね」
春の光がカフェの窓をやさしく照らし出す。
それは、姉妹の再出発と、ふたりの未来をそっと祝福しているようだった。




