109.バレンタインと、手作りチョコと
109.バレンタインと、手作りチョコと
一月の終わり。寒さが一層厳しくなる中、教室の空気もどこかそわそわし始めていた。
「……ねえ、バレンタインって、もうすぐだよね」
放課後、帰り支度をしながら由愛がぽつりとつぶやく。
陽翔はランドセルの中にプリントをしまいながら、その言葉に耳を傾けた。
「うん。来週の金曜、だっけ」
「そう、そうなの」
由愛は珍しくそわそわと落ち着かない様子で、マフラーを巻く手がどこかぎこちない。
「なんか……去年まではさ、友チョコとか、家族にあげるやつとか、そういうのだけだったんだけど……」
陽翔が何も言わず見守っていると、由愛はちらりと彼の方を見て、すぐに視線を逸らした。
「……今年は、ちょっと違うかなって、思ってて」
「……そっか」
陽翔の胸が、少しだけ高鳴る。
「手作りって、難しいよね? でもやっぱり、手作りの方が嬉しい……よね?」
問いかけるように見つめられて、陽翔は思わず笑ってしまう。
「それはまあ……本命なら、やっぱり手作りだと嬉しいかも」
「……うん。そう、だよね」
由愛はマフラーの端をぎゅっと握ると、真剣な表情でうなずいた。
「がんばるね。うまくできるか分からないけど、ちゃんと……渡したいから」
その言葉に、陽翔はじんわりと胸の奥が温かくなるのを感じた。
(……楽しみにしてる)
口には出さず、けれど確かに、陽翔の心は嬉しさで満ちていた。
⸻
二月に入った頃から、由愛の様子がどこか忙しなくなった。
放課後の帰り道。陽翔と並んで歩いているのに、どこか上の空だったり、やたらとスマホを気にしていたり。
「最近、なんか忙しそうだな。宿題多い?」
何気ないふりをして尋ねてみると、由愛は一瞬、はっとした顔をした。
「え、あ……ううん。ちょっと、色々調べ物してて……!」
「へえ。何の?」
「ひ、ひみつ!」
笑顔でごまかされてしまったが、陽翔は心当たりがひとつだけあった。
(……バレンタイン、か)
あの日、「手作りの方が嬉しいよね」と聞かれたことを思い出す。
もしかしたら——そう思うと、自然と口元がゆるむ。
⸻
その頃、由愛はというと、家でこっそり“バレンタイン計画”を進めていた。
「えっと、湯煎して……あ、焦がしちゃダメなんだよね」
エプロン姿でキッチンに立ち、真剣な表情でチョコレートを刻んでいく。
何度も動画を見返して、レシピも印刷して、使う道具も新しく揃えた。
クラスの友達には「家族用だよ」と笑って言ってある。でも実際は——
(陽翔くんに、“ちゃんと本命のチョコ”を渡すんだ)
自分の気持ちを形にするのは、思った以上に難しかった。
でも、それ以上に楽しかった。
毎日、少しずつ練習して、ラッピングも何通りか試してみて。
それは、恋をして初めて迎える“特別なイベント”に向けた、小さな戦いだった。
⸻
放課後、陽翔は気づいた。
由愛の手の甲に、小さな火傷の跡があったこと。
そして、甘いチョコレートの香りが、ほんの少し制服の袖に残っていたこと。
(……やっぱり、楽しみにしてていいんだよな)
心の中で、そっと呟いた。




