102.少しずつ、変わっていく
102.少しずつ、変わっていく
秋の空は高く、雲ひとつない朝だった。
登校途中の交差点で、陽翔と由愛は並んで歩いていた。
「……ちょっと、今日の由愛、顔つき違う?」
「そ、そうかな?」
由愛は少しだけ照れたように笑う。
昨日、あの公園で自分の弱さをさらけ出してから、胸の奥がすっと軽くなった気がした。まだ不安もある。でも、陽翔にだけは見せていいと思えた。
その想いが、自然と彼女の表情にも出ていた。
そして放課後——
「陽翔くん、ちょっと寄っていい?」
由愛に連れられて向かったのは、駅前の小さなカフェ。
「ここ、うちのお姉ちゃんがよく使ってた店なの。高校の頃、勉強したり、友達と話したり……」
「へえ、意外と庶民的なんだな」
由愛は小さく笑った。
「私、昔ここでお姉ちゃんにノートの写し方を教わったことがあって……でもそのときも、結局比べられてるみたいで、素直に嬉しくなれなかったんだ」
席に着いた由愛は、アイスティーをかき混ぜながらぽつりと続けた。
「でもね、最近ふと思ったの。比べられるのが嫌だったのって、誰かのせいじゃなくて、自分が勝手にそう思ってただけかもって」
「……うん」
「今日、偶然、学校の前でお姉ちゃん見かけたの。仕事の研修で近くまで来てたみたいで」
「えっ、ほんとに?」
「うん。声はかけなかったけどね……でも、前ならそれだけで動揺してたのに、なんか今日は普通だった。……ちょっとだけだけど」
由愛の声には、ほんのわずかだけど確かな自信が宿っていた。
陽翔は静かに頷きながら、そっと彼女の手に触れた。
「……すごいよ、由愛。ちゃんと、自分で気づいたんだな」
「ふふ、陽翔くんがいたからだよ。私、ひとりだったら、たぶんずっと逃げてたと思う」
そう言って、由愛は微笑んだ。
その笑顔は、かつて“完璧な姉の妹”として押し込められていた少女が、ようやく“橘由愛”という名前の輪郭を取り戻していく過程そのものだった。
外に出ると、夕日が街を茜色に染めていた。
二人の影が、地面に重なりながら伸びていく。
「……帰り、少しだけ遠回りしない?」
「うん」
肩を並べて歩きながら、陽翔はふと思う。
過去を越えるのは、きっと簡単なことじゃない。
冬の訪れを予感させる冷たい風が吹いていた。
由愛は、制服の上に薄手のカーディガンを羽織っていて、少し寒そうだ。
「最近だいぶ寒くなってきたな」
「ほんとね。…………ちょっと、聞いて欲しいことがあるんだけどさ」
不意に由愛が口を開く。陽翔は「うん?」と問いかけるように顔を向けた。
「……お姉ちゃんのこと。私、お姉ちゃんと、もう一度ちゃんと話そうかなって思ったの」
「真帆さんと?」
由愛は小さく頷いた。
「今まではずっと避けてた。怖くて……素直になれなくて。でも、陽翔くんが『私の方が魅力的だ』って言ってくれて、少しだけ、変わりたいって思った」
その言葉に、陽翔の胸がじんと熱くなる。
「うん。……俺も、由愛がちゃんと向き合えるように、そばにいるから」
由愛はふっと笑って、でもすぐに真剣な表情になる。
「実はさ、日曜に家でちょっとした集まりがあるの。親戚も来てて、たぶんお姉ちゃんも帰ってくると思うんだよね」
「へえ……それって、けっこう大事な機会じゃない?」
「うん。今度こそちゃんと、素直に話してみたい。……『由愛』として、自分の気持ちを」
陽翔は立ち止まると、由愛の手を優しく握った。
「がんばれ。……無理しなくていいけど、もしうまく話せたら、また教えて?」
「……うん、ありがとう」
駅に着くまでの短い時間、二人は手をつないだまま静かに歩いた。落ち葉が風に舞い、冬の匂いがすぐそこまで来ていることを告げていた。




