101.隠していたこと
101.隠していたこと
夕焼けの色が街を染める放課後。
人気のない公園のベンチに並んで座りながら、陽翔と由愛はぼんやりと空を見上げていた。
互いに黙ったまま時間が過ぎていく。それは心地よい沈黙——のはずだったのに、由愛の膝の上で握られた手が、ほんの少し震えていた。
「……だいぶ前、二人でいる時、偶然お姉ちゃんと会ってお姉ちゃんのこと、少し話したよね。好きだけど、避けてるの分かったでしょ?」
「うん」
陽翔はそっと頷く。
成績優秀、非の打ち所のない姉・橘真帆。
由愛がずっと影のように背中を追わされ、苦しんできた存在。
それでも——家では「姉のように振る舞うこと」を求められてきたという話を、あの日、陽翔はしっかり聞いていた。
「実はね……小学校の頃、一度だけ家出したことがあるの」
「えっ……」
「っていっても、ただ近所の図書館で時間つぶしてただけ。夜になって帰ったら、お姉ちゃんにめちゃくちゃ怒られて……」
由愛の口調は穏やかだけど、どこか遠い記憶をたぐるような声だった。
「お姉ちゃんが完璧で、強い人だから、私もそうならなきゃいけないってずっと思ってた。親にも、先生にも、周りにも……」
そして、ほんの少し声を落とす。
「でも、本当はずっと怖かった。『橘由愛』としてじゃなくて、『橘真帆の妹』として見られるのが、嫌だった」
陽翔は、言葉を探しながら隣を見る。
彼の目に映ったのは、完璧とは程遠い、不器用で、でも真っ直ぐな一人の女の子だった。
「俺ね、最初にお姉さんに会って、由愛の話を聞いたとき思ったよ。確かにすごい人だなって。でも……」
「でも?」
「俺は、由愛の方がずっと魅力的だって思った」
「……え?」
「だって、頑張ってるの知ってるから。周りに合わせて、我慢して、でも笑ってる。……そんな由愛の方が、ずっと素敵だよ」
由愛は驚いたように陽翔を見つめ、それから、ふっと力が抜けたように微笑んだ。
「……ほんと、ずるいよね。陽翔くんって」
「え、何が?」
「そうやって、いつも私の心の中を、勝手に整理してくるんだもん」
その笑顔は、ほんの少し泣きそうにも見えた。
でもその涙は、苦しみからではなく、少しだけ前に進めた自分への小さな祝福のように見えた。
陽翔は、何も言わずにそっと由愛の手を握る。
その温度は、家でも学校でも得られなかった“安心”を、確かに由愛に届けていた。




